Vol.614 12年8月25日 週刊あんばい一本勝負 No.607


今年の夏休みも信州でした

8月17日 さあ、夏休みだ。今年は去年と同じく信州で休みをとる。メンバーも去年と同じ、酒田のカメラマンSさんと大阪の山仲間K夫妻。初日は酒田泊まりで土門拳記念館の「高梨豊写真展」を観に行く。常設展の横で「土門拳の昭和展」もやっていた。昭和28年に撮影した「街角――待つ女」というスナップに感動。秋田市のある街角で撮られた、若いモンペ姿の女性の立ち姿で、例の話題になっている木村伊兵衛の観光ポスターの女性より、こちらの方が個人的には好きなタイプだ。木村のあの女性は完成度が高く、構図も非の打ちどころがなく、表情にモデルっぽい冷たさすら感じてしまうが、土門の街角の秋田美人は、隙があって自然で、めちゃセクシーだ。

8月18日 一路信州へ。秋田から白馬まで、とにかくまともに食事できる場所は路上に皆無である。ところどころで休憩タイムをとって買い置きしたお茶やお菓子を食べながらドライブ。朝8時に酒田を出て、昼1時には白馬着。時間があるので、白馬岳登山口付近まででかけて、そばの山を登ってくる。ペンション「500マイル」着は夕方5時。他の客たちと初日はバーべキューで盛り上がる。ペンションのオーナーはSカメラマンの義弟なのだ。

8月19日 今日は白馬から八ヶ岳のある茅野市に移動。ロープウエイをつかって北横岳に登った。とにかくものすごい観光(登山)客で、人ごみを縫い、かきわけて山に登る感じ。途中から雨、早く下りてきて助かった。午後からは白樺湖や諏訪市を経由して霧ヶ峰にある山小屋「ころぼっくる・ひゅって」。生ビールがなかったのが無念だが、食事はおいしかった。一部屋に男2人、女1人の計3人が雑魚寝。

8月20日  朝早くから霧ヶ峰湿原を散策。昼はその湿原にある有名なヒュッテでドライカレー。「有名な」と嫌味っぽく書いたのは、カレーを食べたかったのに、団体客用だ、と断られたせい。とにかく信州の山小屋の主人たちは、なぜだかみんな本を書いている有名人、文化人が多い。自分の山小屋で自分の本を売っているオヤジたちがほとんどである。新田次郎だとか深田百名山とかにまったく興味がない。本を出す文化は、いわば信州の地場産業みたいなものだから、しょうがないのかもしれないが、山と本と文化人は相性がいいのだろう。今日の泊りは再度白馬のペンション「500マイル」。ここの食事は朝夜とも洋食だが、本当においしい。

8月21日 白馬を出発し途中、大阪のK夫妻を糸魚川の「フォッサ・マグナ記念館」で降ろし、いちやく酒田へ。昼過ぎ酒田着。お気に入りのホテル「リッチ&ガーデン」泊。夕食は今回のガイド役のS夫妻を招いて、ホテル内のビヤガーデンで打ち上げ宴会。
8月22日 ようやくここで初めての一人ぽっちになる。おいしいホテルの朝のバイキングを食べた後は、ひたすら秋田目指し、ハンドルを握る。午前中に秋田着。午後からは普通どおり仕事。

8月23日 5泊6日の夏休みも終わった。休みのうち2日は酒田泊で、よほど庄内が好きなんだね。でも鶴岡の「アル・ケッチャーノ」には遅い平日のランチにもかかわらず「予約でないとダメ」と振られた。マイカーの調子はすこぶる良かった。車を買ってから初めての遠出だが、カーナビがあればどこにでも行けることを証明。ところで、明日からは、今度は2泊3日で気仙沼。朝日カルチャーセンターの講演シンポに参加するのだが、また車で出かける予定だ。10月初めには久しぶりに東京にも3日間ほど出かける予定を立てている。なんとなくエンジンがかかってきたかな。

8月24日 車の運転は苦手。嫌いなわけではなく技術がヘタなのだ。今の車はハイブリッドで、いちいち運転技術の採点図が表示される。葉っぱの数で点数がわかるのだが小生はいつも80点。他の人が運転するとほぼ95〜100点が出るから、かなり下手ということなのだろう。夏休みに信州から秋田まで長距離運転もこなしたのだが、その時に同乗者から「身体とハンドルが近すぎ」を指摘された。座席を少し離して、ゆったりハンドルを構えるようになったら昨日初めて100点が出た。うれしい。ちょっとした事なんだ。でも、この採点マーク、少しうるさくないか。
(あ)

No.607

信長死すべし
(角川書店)
山本兼一

年なのだろうか。年々、時代小説が好きになっていく。歴史や時代小説に興味を持つのは間違いなく老化のしるし、と喝破した作家がいた。その理由は現代のスピードについていけなくなるから、だそうだ。ま、その意見に一理はある。自らの体験に照らし合わせても納得できる。そんなわけで時代小説である。舞台は江戸ではなく戦国時代、「本能寺の変」である。明智光秀が織田信長を殺した「本能寺の変」は知っている。知っているが、なぜ光秀が信長を殺さなければならなかったのか理由は知らなかった。その程度の歴史知識しかない。本書では、信長を殺したのは帝の「正親町方仁(おおぎまちみちひと)」の勅命だったことが明らかにされている。江戸時代の本は星の数ほど出ていて、いろんな知識もあるのだが、戦国時代のこととなると、ほとんど何も知らない。武家の大将と朝廷がどのような関係だったのか、江戸時代の徳川と天皇の関係も基本的には似たようなものだったのだろうが、まだ混とんとした下剋上の世の中の戦国時代、流動的な政治経済を支えるインフラは未整備のため、いろんな意味で価値の統一は難しかったのだろう。信長は帝を「占い師の棟梁みたいなもん」と小馬鹿にしている。新しもの好きの信長のキャラクターが本書を読むとよくわかる。

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