Vol.616 12年9月8日 週刊あんばい一本勝負 No.609


残暑お見舞い申し上げます

9月1日 よりによって昨日の昼(秋田市で最高気温を記録)、駅までせっせと散歩してしまった。さすがに疲れたが、おかげで夜はぐっすり眠られた。今日の朝からはいつもの朝散歩に切り替え。まだストレッチや筋トレは控えているが、やっぱり朝シャワーは気持ちいい。痛風もどうやら大丈夫のようだ。さあ9月だ。がんばるぞお。8月はいろんなことがあってバタバタしたが9月は仕事に集中したいものだ。8月はホント仕事以外でなんやかや忙しかった。今日は県南へ。施設に入った著者の表敬訪問と、定年退職で故郷に帰り農業をはじめた友人を訪ねる予定。ついでに母親のご機嫌伺いも。みんなまとめて申し訳ない。

9月2日 またまたコボタッチ話で恐縮。業界誌によれば売れ行きは発売直後で10万台突破、といったあたりのようだ。これがいい数字なのかどうかは、私にはよくわからない。昨夜、コボタッチで岡本かの子著『鮨』を読んだ。いつものようにベッドに寝っ転がっての読書だったが、正直言う。紙の本より軽量でかつ読みやすい。もう著作権の切れた古典は紙の本を買う必要はない。漱石も鴎外も龍之介もすべて無料でコボタッチ。ま、別にコボでなくてもキンドルでもかまわないが、この軽さ、安さというのはものすごいアドバンテージだ。これは間違いない。

9月3日 残暑お見舞い申し上げます。とても残暑とはいえない暑さですが。この暑さと真正面から戦おうとは思わないが、山に行ったり、積極的に外に出るのは、危険領域に足を踏み込むことを意味する。9月を過ぎても35度近い日々となんとなくうまくやっていくには、ひたすらインドアを快適に過ごすしかない。寒さには強いのだが、暑さにはめっぽう弱い。エアコンの中で身をひそめるように日々をやり過ごすしかない私なのだ。夜、どうにか眠られているのが救いだ。

9月4日 まだ完ぺきとはいかないが、体調は9割がた回復。ほぼ日常は戻ってきた。昨日は日経新聞文化欄に『全訳遠野物語』の著者が自著について文章を書いていた。おかげで本が少しだが動き出した。書評でも紹介でもない文章なのに読んでいる人は読んでいる。く10人ほどの方から注文をいただいたのだが、掲載当日でこれだけ注文が来るということは……などとうれしい皮算用。大手新聞に書評が出ても対して本が動かないこの時代、ありがたいことだ。

9月5日 早起きになってからテレビをほとんど観なくなった。例外は夜のナイター。ファンというほどではないが巨人戦をよく観る。スポーツはいいよね。でも野球観戦にも問題はある。ひどい解説者にあたると、寝てしまう確率がかなり高くなるのだ。巨人の主催ゲームでは、どんなにボンクラでも解説者は元OBが務める決まり。この元巨人出身者の解説がヒドい。たまにNHKで梨田さんあたりが解説すると、そのあまりのスマートな話術に安心してしまうが、巨人主催のゲームは、テレビを観るのが本当に怖い。

9月6日 朝から雨。さすがにこれはうれしい。ふれふれふれふれもっと降れ。朝の散歩も中止、なんだか身体が軽い。冷房漬けの身体は休養を望んでいたのかも。そろそろ上手にサボることを習得しなきゃあね。そういえば今日久しぶりに封印していた朝のコーヒー。これも新鮮でうまかった。昼はどこかで豪華にステーキ、夜も外でパーっとやるか。とまあ、それは冗談だが、なんやかやで身体がかなり疲労の崖っぷちまで追い込まれていたのは確か。いろんなことをサボってリフレッシュする必要がある。

9月7日 私の住む広面地区の各家々に地元出身らしい県会議員のポスターが、ものすごい勢いで張られだした。町内は一夜にしてこの人物の顔だらけ。エッ選挙があるの? とだれしもが思ったのだが、いまだポスター攻勢は勢いを失わないばかりか、逆にその数を増やしている。これはどういうことなのか、まったく意味が分からない。広面地区に限ったことなので、知り合いの新聞記者に訊くこともかなわず悶々としていた。昨日、広面ネイティブの友人Fさんに恐る恐る尋ねてみると、この人物、この次の国政を目指しているのだそうだ。なあんだ、そんなことだったのか。広面の地元では人気のある県議なのだそうだ。無知は怖いね。
(あ)

No.609


(講談社)
三木卓

三木卓は詩人としてH氏賞、小説家としては芥川賞から芸術選奨、谷崎、読売、毎日、野間児童文学賞まで、ほとんどの文学賞を総なめにした作家だ。その作家が、亡き妻のことを書いた本書はちょっとすごい、「夫婦不仲小説」である。読みながら茫然、唖然、慄然。安定も名誉も手に入れた作家なのに、いまあえて亡くなった自分の妻の恥部を赤裸々に書かねばらなない「作家の業」にはうならざるをえない。が、もちろん罵詈雑言を単純に書き連ねている物語ではない。ユーモアを交え、戸惑い、冷静に、円満とはほど遠い夫婦生活と、有能な詩人である妻の生涯を、故人を傷つけないように慎重に描いている。不満もある。なぜこの2人は離婚しなかったのか。その答えとなるキーワードが本書には見当たらない。この2人は夫婦ということになっているが、ほとんど新婚時から別居、その状態を妻の死まで「維持」したのだから結婚即離婚状態といっていい。夫が身体に障害を持っていること、妻が詩人であったこと、そして妻が夫よりも子供を溺愛、その娘を守るような形で自分のエリアに夫を入れなかった……こうしたことが輻輳して奇妙な夫婦の形をとることになった。夫側だけの視点で書かれたものをもって妻を断罪するのはフェアーではないが、何とも面妖な夫婦関係である。

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