Vol.620 12年10月6日 週刊あんばい一本勝負 No.613


10月になり、来年のことを考える

9月29日 コンビニのおにぎりは山行では必需品だ。いつも2個買って山に入るのだが、その2個とも食べきったことはない。疲労困憊で飯がのどを通らない、と自分では思っていたのだが、どうやら違ったようだ。コンビニのおにぎりはほとんどが2等か3等米。ようするに割れ米が多い。コメが割れると炊いた時に澱粉が流れ出す。そうなるとコメの粒粒感が消える。ねっとりしたいやな食感だけが残る。これがまずいと感じる原因だそうだ。そういえば、家で握ってきたおにぎりをもらって食べたら、たしかに美味しかった。なるほど、そういうことだったのか。コンビニ問題だなあ。 

9月30日 今日は国見温泉から秋田駒ケ岳に登る予定だったが、台風を恐れて急きょ中止に。1日の予定がぽっかり空いてしまった。が、そこはうまくしたもの。その山行メンバーで、夜に駅前居酒屋宴会をやることに決定。それもただの宴会ではない。モモヒキーズのメンバーSさんの快気祝いと県内全山(57座)踏破祝いを兼ねた祝宴。でも夕方まではヒマ。雨の筋トレ散歩と、ひとり料理教室(カンテンと肉じゃがとトマトソース)でもやろうか。新ソバはまだちょっと早いし、鍋は簡単すぎるし、カレーはおおごとだ。とにかく甘いカンテンが食べたい。これで行くか今日は。

10月1日 台風はそれたのかな? 寝室が2階で、ちょうど頭側が風の通り道。雨風の音がけっこう増幅されて聞こえる。台風の時は気になって寝られなくなることもあるのだが、昨夜はぐっすり。お酒のせいもあるのだろうが、真夜中に通過するといわれた台風は跡形もなく、チャビチャビ雨音がしただけ。寝床のそばに脱ぎ捨てた衣類に、昨夜の「居酒屋の匂い」が強烈に残っていた。誰も煙草を吸わない個室での宴会だったのに、それでもこれほど匂いがつくのか。ところで昨日のカンテン作りはまた失敗。こんな簡単な料理がどうしてうまくできないのか、深く落ち込む。

10月2日 涼しくなったら体調もめっきり良くなった。現金なもんだ。夜はよく眠られるし、散歩は朝から一時的に夜に替え、早起きのプレッシャーから解放された。散歩の途中に赤ちょうちんに寄ったりする寄り道も楽しい。気持ちが前向きになると外への興味が開けてくる。旅に出かけたくなるし、仕事への意欲もわく。友と酒を酌み交わしたくなる。不調時と一番違うのは、やりたいことがムクムクと頭をもたげてくること。夏バテのころは、もうなにも浮かんでこなかった。ただただ一日が過ぎていくのをボーっと傍観している状態で、やることがないことに苦しんだ。今年の夏はやはり異常な季節だったことを。秋になって実感する。

10月3日 秋田県では絶滅種に指定されているニホンジカが湯沢にいるらしい。てっきり八幡平周辺が有力と思っていたので、これは意外だった。岩手県側から越境してくるわけだから八幡平の可能性は十分でも県南部というのは考えにくかった。近く探検(捜索)に行ってくるつもり。誰にも頼まれていないが個人的興味だからしょうがない。秋田でシカが見られれば、わが生涯でも特筆すべき出来事だ。3,4年前に屋久島で見たのが最後。それにしてもイノシシも湯沢で発見されたから、すごいね湯沢。「イノシシもシカもいる。ヘンな町・湯沢」ってキャッチフレーズ、どう?

10月4日 老朽化が進む事務所を、年1回改修工事(リフォーム)するのが恒例となっている。そのおかげで事務所は築32年とは思えないほど、しっかりしているのだが、今年は玄関前壁面の壁改修と2階の書庫の大改造を考えている。その工事が今日からはじまった。とりあえずは仕事場の顔である玄関壁面。朝からカンカンギーギーにぎやかだ。くわえて事務所周りのこまごまとして作業(草むしりや植木の手入れ)をしてくれるSさんも偶然作業中で、舎員より外で働いている人のほうが圧倒的に多い。賑やかなのは嫌いではないが、落ち着いて仕事はできない。今日は一日外に出ていようかな。

10月5日 朝から雷と雨。昨日のうちに玄関前の壁面改修工事は終了。だから雨はいくら降ってもいい。雨の日は考えごとに向いている。ふだんは考えないようなシリアスなことを、ぼんやりとだが思案中。そのひとつなのだが、来年の仕事の方針を突然の雷鳴のように決めた。新刊は極力抑え、既存本の販促にお金と時間をかける、というもの。ずっと新刊中心主義でやってきたのだが、時代の流れとそぐわなくなってきているのは確かだ。新刊を抑えるのはけっこう勇気がいる。既刊中心主義でどこまでやりとおせるか、うちにとっては大いなる冒険だ。次の展開がまったく見えない時代だが受け身でいることだけは避けたい。
(あ)

No613

夜の蟻
(筑摩書房)
高井有一

高井有一の本を突然のように読みはじめた。講談社文芸文庫で『半日の放浪』を読んだせいだ。これは作家による自選短編集なのだが、なかに収録されている『北の河』を仕事の関係で手に取ったのが運のつきだった。芥川賞受賞作であるこの作品自体はもう単行本では入手不可能で、それも昨今の出版事情をよくあらわしている。戦時中、疎開先の秋田で、母親の自死を体験した少年の目で描かれた、ひと夏の物語だが、正直なところ、そのあまりの暗いトーンに救いが見いだせず、ようするに何がいいのか、よくわからなかった。それでも同じ本に収録されている表題作「半日の放浪」がものすごくよくて、その作品が収録された連作短編集を古書で探しだし、読んだのである。定年過ぎの、うっ屈気味の主人公の日常を描いたものだが、もうこれは抜群に面白い。小津安二郎の映画をほうふつとさせるシーンが連続し、穏やかな老年の日々ながらも背後に鋭利な刃物の存在を感じさせるすごみもあった。それでいてトーンは心温まる小さな話の連続なのである。妻と観に行った話題の映画(「フ―テンの寅さん」)を、「笑いのあざとさが透けて見える」と嫌悪を抱いたり、リタイアしたらしき同僚を励ますエリートサラリーマンらの「おごり高ぶった態度」にめらめらと怒りを燃やす。そうか高井有一はこんなに過激な作家でもあったのか。

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