Vol.622 12年10月20日 週刊あんばい一本勝負 No.615


久しぶりの東京は……

10月13日 身辺整理の一環なのだが、昔のアルバムや取材写真、資料などをデジタルデータとしてCDに収載する作業をはじめている。そのなかには膨大な枚数のモノクロネガも。サンパウロの人文研究所に数か月間寝泊まりし複写した日本人移民の写真資料だ。全ネガをデジタルコピーするにはかなりの月日を必要とする。それでもデジタル化しておかないとネガの劣化はどんどん進行する。その一方、大切に保管していた資料だが、たぶん二度と日の目を見ることはないだろう、と思えるものもたくさんある。その重要度をいちいち忖度して取捨選択に悩む。この選択こそが実は最も大変な作業だ。

10月14日 11日、ご近所に住む川辺久太郎さんが亡くなった。享年93。用事があり昨日の葬儀には行けなかった。明日からの東京出張が済めば線香をあげにうかがうつもりだ。川辺さんは大の本好きで、無明舎から出た本をほとんどすべて買っている。「本は息子たちに受け継いでいけるから、安いもんだ」というのが口癖だった。杖をついて笑顔で「いるがァ」と不意に事務所に訪ねてくる川辺さんの姿が脳裏を離れない。こういった人たちに支えられて、なんとかやってこれたんだなあ、と今はしみじみ思う。ご冥福を祈りたい。合掌。

10月15日 10月というだけで気持がワクワクする。誕生月ということもあるのだが、なにせ稼ぎ時の「読書の秋」、山も紅葉が美しく、山に登るのが楽しい。動いても汗はかかないし、夜は熟睡できる。がぜん酒がうまくなるし新蕎麦まで出回る。1年のうち予定表が唯一、真っ黒になる時期だ。できれば出かけたくない東京へも、この時期だけは出かけてもいい気分になる。1年分の不義理をこの時期に一挙に晴らしてしまう無精者。でもやっぱり秋田を離れたくない。これが本音。田舎の一番いい季節を、温泉にでも浸かりながら心ゆくまで味わいたい。といいながら温泉もまどろっこしい。近場の山中でブナ林と落ち葉の道を歩いているのがサイコーだな、やっぱり。

10月16日 久々の東京出張。1日目はなにも予定を入れずに電車で移動するだけ、という計画だったが、ブラジル・ベレンから、うちの著者でもあるTさんが来日しているとの連絡があり、急きょ神保町で落ち合い一献。Tさんの話は面白い。日本のドラッグストアーに入り栄養剤を飲んでゴミ箱に捨ててから「いくら?」と金を払おうとしたら店員が目を白黒させていたそうだ。でも自分が何かヘンなことをした自覚はまったくない。日本の店ではバーコードを通さないと商品は自分のものにならない、なんて知らなかったからだ。こんなことが異文化の中には山ほどとある。日本のルールが世界のルールではない。

10月17日 東京2日目は予定がぎっしり。神楽坂の日本出版クラブに陣取って、横着にも、いろんな方に来てもらって、お話する。この夏以降、本の動きは極端に鈍くなっている。これが無明舎だけの現象なのか、それとも出版界全体の現象なのかを確かめに来たのが今回の上京の目的だ。会う人々は口々に「6月以降、異常としか思えないほど売り上げが落ちている」と言う。うちだけではなかったのだ。この現象をうまく言語化して説明してくれた人はまだいないが、もしかして「3・11」の影響が1年半近く経って、ようやく出始めた、ということはあり得ないだろうか。そんな目で見ると東京の電車や書店や喫茶店で見かける人たちの多くが、うつむき加減で暗そうに見えなくもない。不況なのだ日本は。改装なった東京駅だけが観光客でお祭りのような騒ぎだった。

10月18日 九段下の定宿でうっかり昼過ぎまで寝過ごし超過料金をとられてしまった。けっこう疲れてもいるのだが、それよりも秋田を離れた開放感のほうが強いのかも。午後から仙台に移動。ちょこまかと書店や登山用具店をまわる。夜ひとつ用事をこなして、ひとりで炉端焼き風の居酒屋に入るが、駅前チューン居酒屋のほうがずっとましな味でガックリ。仙台でいい店に入るのは至難の業だなあ。おまけに東2番丁にあるホテルまで何度も道を間違い、周辺をぐるぐる回ってしまった。歩数計を見ると今日1日だけで2万3千歩。早めにホテルに帰り、巨人・中日戦をTV観戦。途中で眠ってしまった。夜中に目が覚めたが、もうほとんど眠られない。

10月19日 朝9時の新幹線で仙台から秋田へ。電車の中ではずっと『中国化する日本』(與那覇潤)を読む。2度目なのだが歴史の本なのでもう一度丁寧に読みなおしてみた。おもしろい。行きの電車では網野善彦『海民と日本社会』を読んだ。これも2回目。電車は最適の読書空間だが、最近はもっぱら新刊ではなく「再読」が多い。もう新しい情報を吸収、栄養にする体力はない。感動した本を繰り返し読むほうに軌道修正しつつあるる。だから事務所の書庫にある本も処分先を決めた。昼ごろ秋田着。近所の川辺さんのお宅にお悔やみに。明日は乳頭登山の予定。その準備もしなければ。雨だけはいやだなあ。本の売れ行きは元に戻るのだろうか。
(あ)

No615

坊ちゃん忍者幕末見聞録
(中央公論社)
奥泉光

この本との出合いは文芸評論家・斎藤美奈子さんの書評だった。辛口批評で知られる彼女がほめていたので読もうと思った。それは正解だった。むちゃくちゃおもしろいうえに、歴史の勉強にもなる。もちろん作家名は知っていたのだが、お隣、庄内出身の人とは知らなかった。庄内弁は秋田県南出身の私には身近で、方言も微妙に似ているから親近感がある。小説全編がほとんど2人の若者の漫才のような庄内弁で進行する。ということは他の地域出身の人にはリテラシーのハードルが高いのだが、私は最初からこのハードルがない。この庄内弁での会話がいいのだ。ユーモラスかつスリリングで物語の骨格を支えている。舞台は幕末、庄内の金持ちドラ息子・寅太郎が、田舎者丸出しで尊王攘夷の熱に浮かされ、その嵐の中心地・京の都に出奔する。主人公である横川はそのドラ息子の同級生(?)で、バカ息子の親御さんに頼まれ、旅に同道することになる。この2人の珍道中から花の都での虚実入り乱れた志士たちとのやり取りのドタバタ活劇である。荒唐無稽な大冒険時代劇ファンタジーといってもいいのだが、坂本竜馬や新撰組の隊員たちも登場する。こうした実在の歴史的人物たちが、2人の若者の庄内弁とまじりあってえもいわれぬおかしみを醸し出す。幕末の京の都の熱気が、庄内弁で不思議なリアリティをもって立ちあがってくる。

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