Vol.635 13年1月19日 | 週刊あんばい一本勝負 No.628 |
大雪の中で考えたこと | |
1月12日 横浜出身の大学生から「秋田の冬はいつもこんなに寒いんですか?」と訊かれた。えッ、そんなこと考えたこともなかったなァ。冬は寒くて雪に閉じ込められる。それが当たり前だ。早く春になってほしい。余計なことを考えずに、この一念で冬をやり過ごす。60年以上生きてきた雪国ネイティブにとって、寒さも雪も日常のうち。なのだが、さすがに最近は年と共に「雪がない冬って、いいだろうな」と問わず語りをする自分がいる。雪かきには慣れたが、この閉塞感と慣れ合うのは、いくら年を取っても難しい。今日も深々と雪は降り続け、さきほど「大雪注意報」がでたようだ。 1月13日 「靴納め」というのがあったから今日は「靴初め」とでもいうのだろうか。最初の予定では男鹿真山だったが、昨日来の不気味なほどの大雪に恐れをなし、急きょう近場の一つ森公園スノーハイキングに変更した。のんびりと公園を歩いているうちに青空が見えだした。昨日は市内のどこでも雪かき作業をする人で路上はにぎやかだった。どの顔にも、怒りをどこにぶつけていいのかわからないような困惑と焦燥と不安の色が濃かった。殺気立っている感じも伝わってきて散歩をするのも怖いほど。一転、今日は穏やかな雪解けの日である。天候に気分が左右される日々はユーウツだ。 1月14日 ダイエット中なので食事の愉しみは夕食だけ。もう2カ月以上たつので、だいぶ空腹感は薄らいできた(現在5キロ減)。反動で夜に大食いしてしまうのが心配だったが、年なのだろう、高カロリーものは自然と敬遠するようになった。このところ毎日、湯豆腐三昧。急に好きになったのは湯豆腐の正式の食べ方を教えてもらったからだ。ようするに「かえし」をつくって豆腐を食するのだが、氷砂糖でつくる「かえし」がポイントだ。とにかく「かえし」がすべてで、豆腐以外に食材は極力使わないこと。湯豆腐を美味しく味わうには、氷砂糖の甘さが必要だったのである。湯豆腐のうまさを知らずに死んで行くところだった。教えてくれた人には感謝感激あめあられ。 1月15日 3連休はいつも通りフツーに過ぎてしまった。なんにもしないうち今週はもう1日が経った。今週はほとんど事務所にいない日々になりそうだ。東京出張があるためだが、どうせなら東京にずっと雪が残っていてほしい。東京に大雪が降って都市機能がマヒすれば、多くの人が「雪」の大変さを認識してくれる。不謹慎な話か。まあ妬み芬々でいっているのだから許してほしいが、雪がどれほどの「暴力」か、多くの日本人に知ってほしい。この気持ちは、口にこそ出さないが雪国の人間みんなが持っている感情だろう。沖縄の人たちが基地の「県外移転」を願うのと似た気持ちかもしれない。なぜ自分たちだけに、こんなハンディがあるのか。冬になるたびにそんな愚痴を吐き出しながら、黙々と雪かきする日々だ。 1月16日 「日中〈文明の衝突〉一千年史」と副題のある『中国化する日本』は、去年読んだ本で最も刺激的な論考だった。「怖い国」「遅れた国」「野蛮な国」と中国を見てしまう癖が日本人にはあるが、歴史的にみれば逆だ。中国というのは人類史上最初に身分制を廃止、前近代には世界の富のほとんどを独占する「進んだ」国だった。だからむしろ、「なぜ遅れた野蛮な地域であるはずのヨーロッパに法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのか」を考えるべきだ、というのが本の骨子だ。民主主義の骨格になる人権概念の基本は、そのほとんどが中世貴族の既得権益。ヨーロッパにはその身分制が最後まで残ったため、貴族の既得権益をゆっくりと下位の身分の者たちと分け合っていくことが近代化のプロセスになった。が、中国は宋朝にすでに「近世」に入ったため、早く特権貴族は滅亡した。貴族がいなかったので人権概念も育たなかった、というのだ。日中問題がメディアで報じられるたび、この本のことを思いかえすようにしている。 1月17日 航空機の事故が続いているようだ。でもどこかそんなニュースを見ても他人事。東京に行くのにほとんど飛行機を使わなくなったせいだろう。広面から空港までは15分、駐車料金も安く、便利この上ない立地なのだが、飛行機ははやすぎる。時間感覚が日常を飛び越えてしまう。逆に電車がいいのは日常の時間でそのまま移動できること。まとまった読書時間がとれるのもいい。前日から読む本を選ぶのにワクワクする。これは旅の醍醐味だ。年と共に「時間」に対する感覚が変わってきたのだろう。飛行機の早さは、老いた身体の生理に同調しなくなった。10年前までは1か月に2度も3度も飛行機に乗っていた。もうあんな生活は無理だ。それでいい。ゆっくり、無駄に、寄り道すること。 1月18日 いま東京だ。久々の@padからの送信だ。これから知り合いと昼食を一緒するのだが、とにかく青空が気持ちイイ。指定の場所までは距離にして3キロほどあるが迷わず歩くことにする。健康のためというより青空が気持ちイイからだ。この時期に東京出張が多いのは、この青空が見たいためなのかもしれない。「ほとんど青空を拝めない冬の間」と秋田のことを書いていた作家がいたが、これはけっして誇張ではない。地場もんがいうのだから確かだ。他者の地位や名誉、家族や生きている環境をうらやむのは、人としてあまり褒められた行為ではないが、天候をうらやむというのも、似たような行為か。帰ったら週末は県北部の七倉山にスノーハイキングの予定だ。それにしても行きの新幹線の中で読んだ黒井千次著『高く手を振る日』はいい小説だったなあ。70代の恋を描いたもので思わず涙してしまった。 (あ)
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