Vol.636 13年1月26日 | 週刊あんばい一本勝負 No.629 |
腰痛・爪の血豆・初登山 | |
1月19日 帰りの新幹線が、秋田に入ってからの雪で1時間近く遅れ、午前中に東京を発ったのに夕方家にたどりついた。駅から乗ったタクシーもヘンに近回り。逆に路地の凸凹雪道に翻弄され、さらに渋滞に巻き込まれた。その見通しの悪さにあきれ、途中で降ろしてもらった。新幹線の車中での5時間近く、原宏一著『極楽カンパニー』という、定年男たちが「会社ごっこ」をする小説を読んでいた。時間の経つのを忘れるほどおもしろい本だった。面白い本さえあれば車中に閉じ困られてもオーライだ。家に帰って今度はDVDでブラジル映画『汚れた心』を観る。日本の俳優陣を使った、日系移民たちの「勝ち組負け組事件」をテーマにした映画だ。よくできていて感心した。外国人のみた「へんちくりん」な日本人像が皆無というのも珍しい。それにしてもテーマがなにぶんにも重すぎた。旅の疲れがどっと出てしまった。 1月20日 今日が本格的な今年度の「初登山」。二ツ井町にある七座山は2年ほど前にも初冬に登ったことがある。そのときは雪のため登山道がわからず、迷いに迷って2時間半も頂上付近を漂流してしまった。今となっては、それもいい思い出だが、なんと今回も、やっぱり頂上には到達できなかった。大雪で登山ルートを発見できず、またしても前回同様、迷路に踏み込んでしまったのだ。このへんは巨木の秋田杉の宝庫だ。その巨木から、ときおりすさまじい轟音と共に雪が落ちてくる。ほとんど雪崩だ。雪煙りであたりが真っ白になる。直撃されれば、間違いなく首はへし折れる。不気味だ。しかしまあ久々の急坂のラッセルで、いい汗をかかせてもらった。楽な山はないけど、いやな山もない。 1月21日 朝、ゴミ捨てに行く途中、アイスバーンで滑って背中から地面にたたきつけられた。これほど見事に転んだのは何年振りだろうか。出舎してコーヒーを淹れ、新聞を読もうと椅子に座りかけたら、椅子が勝手に後ろに動いた。コーヒーを持ったまま、もんどりうって宙に放り出され、全身コーヒーまみれ。気を取り直して、残ったコーヒーをススリながらパソコンに向かった。のだが今度はカップの取っ手から手が抜けず、パソコン画面におもいっきりコーヒーをぶちまけた。朝の8時から9時の間に起きた悪夢である。今日1日、何かありそうで不安だが、連続でこんなひどいことが起きたのだから、あとはいいことしか起こらない、と信じよう。腰が痛い。 1月22日 朝食時間に連続テレビ小説「純と愛」が放映されている。観るともなく観ているのだが、このごろのドラマはほとんど原作は漫画。だから物語の荒唐無稽さには慣れっこ。テレビドラマに過剰な思い入れや幻想はない。のだが、ある文芸評論家が「大阪の貧民街の簡易宿泊所が舞台なのに、客も従業員も誰も喫煙していないのはヘン」と注文を付けていた。なるほど、そんな観方もありか。目から鱗だ。もう一つ、沖縄そばはラーメンと同じ小麦粉で作る。なのに、なぜ「そば」なのか(30%の蕎麦粉が入らないと蕎麦という名称は使えない)。という疑問が昨日読んでいた本で解けた。ラーメンという言葉が全国的な市民権を得た60年代、沖縄は返還前だった。そのためラーメン・ブームとは無縁で、「そば」の名称が何の問題もなく現在まで抵抗なく使えた、というのだ(『ラーメンと愛国』)。日々スリリングな事実に出あえるなあ。何のためにもならないけど。 1月23日 昨年暮れ、折り畳み椅子で左手小指を挟み、爪の真ん中に小豆大の血こん。風呂に入るたび、どす黒い血豆はけっこう目立ち、厚い爪に閉じ込められ、永遠に痕が残ってしまうのではと不安になった。ところが半月ほどすると血豆の位置が動いていることに気がついた。爪は日々成長する。それは当然だが、爪と血豆は違う身体の部位に属するから爪は伸びても血豆はそのままの位置にとどまる、と単純に思っていた。が違った。血豆も爪の成長と共に上へ伸び、先端部分は爪切りで切れるところまではみ出してきた。こうして、はからずも爪の成長を毎日確認するはめになったが、その成長の速さには驚くばかり。この調子では2カ月もあれば血豆は跡形もなくなるだろう。 1月24日 夕食後カミさんに来客があり家に居られなくなった。昔なら即飲み屋直行だが、今はおとなしく事務所で読書やDVD鑑賞する。昨夜はなんとなく料理がしたくなり蕎麦や湯豆腐の「かえし」を作った。簡単そうだが沸騰させられないので気が抜けない。ついでに本格的な出汁もひいた。大音量でジョーン・バエズや鈴木常吉のCDを聴きながら料理するのは気分がいい。年甲斐もなくUA(ウーア)も大好き。そういえば最近UAの話題を聞かないなあ。気になって調べたら3.11後、沖縄に移住していた。やんばるに住みついて3人の子供と夫で農業をしながら基地や原発の反対運動をしているようだ。彼女らしいが、新曲も聴きたいゾ。 1月25日 ずっとよくわからないでいた。第一段階として本がデジタル化された後、第2段階として出版世界に何が起こるのだろうか。その答えらしきものを、この世界のトップランナーであるボイジャー社の萩野さんが教えてくれた。「コンテナ(容れ物)でなくコンテキスト」だそうだ。はしょっていえば「取材ノートやBGM、バックグラウンド・ビデオや注釈リンク」などの本の内容を取り巻く「環境」(これがコンテキスト)を取り込んで、すべて包みこんだものが電子書籍だ。既成の出版モデルを単にデジタル化しただけの現在のものは時代遅れの幼稚園段階なのだ。そうか、本のデジタル化とはPCのアプリを制作するイメージに近い、という自分の考えは、大きくは間違っていなかったようだ。でもやっぱり、老兵は紙と共に去りぬだなあ。だってメンドくさそうだもん。 (あ)
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