Vol.667 13年8月31日 週刊あんばい一本勝負 No.660


事務のお勉強の反動で、外に出てばかり

8月24日 家も事務所も老朽化が激しい。特に屋根の傷みがひどい、と専門業者に指摘された。家のトイレや風呂、洗面所も30年以上そのまま、そろそろリフォームが必要な時期だ。和室の畳やカーテンも30数年前からそのままだ。今までよく持ちましたね、と業者からは驚かれるのだが、これは共稼ぎだったため。日中だれも家にいなかったので傷みが少なかった。これらすべてのリフォームを今やるとなると400万円近いお金がかかるそうだ。ここ2,3年かけて優先順位の高い場所からやっていくしかない。となれば「屋根」か。生活備品(風呂や給湯器、ストーブやトイレなど)の耐久年数は10年から15年だそうだ。やれやれ内憂外患の日々。

8月25日 1000年以上も前に開削された秋田(東成瀬村)と岩手(胆沢町)を結ぶ街道跡(仙北道)約13キロを8時間かけて踏破。山登りではないが、いくつもの渡渉があり、ワイルドな「山歩き」。山の中はすっかり秋だった。古代から軍事の道として、生活の道として、旅や歴史的人物たちの逃亡の道として、多くの人たちが往来した「歴史の道」が仙北道だ。いわば近代化する以前の秋田の文化の玄関口なのだ。ここから当時の最先端の暮らしの形が生まれた、と言っても過言ではない。この歴史を後世に残したいと、秋田、岩手の人たちの20年にもわたる努力が「現地踏査イベント」として結実した。その会に念願かなって参加。岩手側で催された交流会にも出てきた。朝3時に起き、家に帰ってきたのは夜の10時。こんなに長かった1日も珍しい。

8月26日 ダイエットをはじめてからは雨や風が吹こうと夜の散歩を欠かさない。散歩しないと夜寝付けなくなることもある。短パンにTシャツ、備忘録レコーダーと小銭、小さなヘッドランプ持参だ。この頃は出るときに晴れていても途中で確実にひと雨来る。だから携帯傘も必携。家のあたりと山沿いの地域では天気も微妙に違う。歩いている最中はメガネをはずす。近眼だが老眼はそれほどひどくない。夜に眼鏡をはずし遠くを見ながら歩くと、なんとなく目の疲労がとれたような気分になる。この1年で運動靴を1足つぶした。2足目のズックがうまく足になじまない。

8月27日 今週は相次いで名古屋と札幌から友人夫婦が来秋する。名古屋のFさんは、もう30年以上前、アマゾンの牧場で会って以来の友人。その後、日本に出稼ぎに来て名古屋に居を構えた。奥さんも日系2世で彼の波乱万丈の物語を書こうとアマゾンや名古屋まで何回も取材に出かけたが、小生の力量では無理だった(まだあきらめていないが)。札幌のU夫妻は大学時代の遊び仲間。同級生同士で結婚し今は札幌に居を構えている。ずっと同じ場所でかわり映えのない仕事を繰り返している「まるで公務員のような自分」を見つめなおす、いい機会になりそうだ。なんていうと「お前のどこが公務員だ」と突っ込まれそうだが、20代から延々と同じ場所で同じ仕事を続けているんだから公務員のようなものだ。

8月28日 夜中に左足の「こむらがえり」で3回飛び起きた。このごろは山に行ってもめったに起きないのに、よりによってなにもない日の夜に、なぜ? こむらがえりはふくらはぎの筋肉が伸縮する発作、神経や筋疾患系の障害によるものだ。突然の発作の原因として考えられるのは、散歩途中で雨に降られ筋肉が冷え切ったこと。お酒をけっこう飲んでいたので風呂に入らなかったこと。数日前から便秘薬をやめ便通が悪くなったこと……しか思い付かない。もっとも説得力があるのは、3日前からやめた便秘薬の影響だ。身体のなかで何らかのバランスが崩れたためではないだろうか。それとも3日前の仙北道の山歩きの後遺症? まったくもって厄介だ。山での痙攣を克服したと思ったら日常生活で予期もしない痛みに襲われもんどり打つ。人生はままならない。

8月29日 一日中外に出ていることが多くなった。それでもできるだけ外食は避けている。外に出たついでに買い物をするのもルーティンだ。リンゴとカンテン(具材も)、玉ねぎは毎日食べるものなので欠かせない。この3つの食の定番があるから外食しないし、買い物も必要になるわけだ。店に行くと「何とかカードお持ちですか」とかならず訊かれる。買い物袋は持参するがカード類は持たない主義。コンビニで訊かれるのは儀式なので聞き流せるが、スーパーではもう常連客なので一瞬心動く。というか、毎回毎回煩わしい。持ってしまえば出すだけでいい、と心動くが、やっぱりつくる気はない。

8月30日 愛用しているモンブランのボールペンのインクがなくなった。ネットで検索しても、どこでも売ってない。近所の文房具屋さんに注文してもらおうと出かけたら、ちゃんと在庫があった。1000円。ちょっと見直してしまった。ノリの粘性の強いシールも欲しいのだが、ついでに訊いておけばよかったなあ。あの店なら、ハイあります、と出してくれたかも。ネットにかまけているうちにブラックホールに入ってしまっていた。ネットにないものはお店にもない、と。一番良く使う文房具は新聞スクラップなどに使用する「1枚切りカッター」。これは10年程前、20枚をまとめ買い。外国製なので販売中止が怖かったためだ。これも国産でいいものが出ているのかも。でも日本製はデザインが凝り過ぎ、華美、過剰で使う前からゲンナリする。

8月31日 雨もたいしたことはなく刈和野の撮影も午前中で終わった。午後からは札幌から遊びに来ているU夫妻らと合流。県南部をちょこちょこ動き回ってきた。県南地方は今かなり面白い。大手の酒蔵が倒れ、それに伴って新しいムーブメントが起こり、センスのある雑誌が創刊され、秋田市にもないようなおしゃれで美味しいレストランが流行っていた。県南といえば穀倉地帯でお酒の名産地。そのお酒(酒蔵)に変革の嵐が吹きまくっている。ご当地の専門家に訊いたのだから間違いないのだが、「うまい」「まずい」「売れる」「売れない」といった既存の境界が一挙に崩壊するような、そんな酒蔵の内部変革のただなかにあるのだそうだ。ちょっと注視する必要がありそう。
(あ)

No660

東北・蝦夷の魂
(現代書館)
高橋克彦

そうか、なるほど、この手の本は、ありそうでなかった。3・11という大事件があって顕在化した書籍といっていいだろう。そういう意味では、凡百の震災本の中でも出色の「震災本」でもある。タイムリーだけがとりえの(ビジネスも見え隠れするが)震災本に欠けていたのは、この著者の視点である。この視点を欠いた論考はほとんどうそ寒いだけ。「がんばろう東北」や「ひとつになる日本」といったスローガンの白々さは、まさに歴史認識の欠如から来るものなのだ。本書は坂上田村麻呂と闘ったアテルイから、源頼義に抗う安倍貞任、頼朝と対峙した藤原泰衡、豊臣秀吉に立ち向かった九戸政実、そして明治政府と戦を交えた奥羽越列藩同盟という、日本歴史上の5つの侵略戦争で奪われ続け、敗れ続けた東北人を温かい目からとらえ直すことからはじまっている。古代から東北は中央政権に蹂躙され続けたのだ。ここから3・11はとらえ直す必要がある。東北人の特質である「やさしい」「無口」「辛抱強い」というイメージも、もとはといえば明治初期の人買いや女衒たちが、遊女を探す条件として言い出したことだ。その条件にぴったりだったのが東北の女たちだったのだ。ほめ言葉ではない。さらに東北弁が蔑視されるのも分かりにくいからではなく、明治初期の都市部の下男、下女の大半は東北出身者だったため、身分の低い人間の使う卑しい言葉として認知された結果だ。

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