Vol.669 13年9月14日 週刊あんばい一本勝負 No.662


戦後史の証人がまた一人いなくなった

9月7日 忙中閑あり、ではないか。昼に駅前映画館でフランス映画『愛、アムール』を観てきた。けっこう救いようのない暗い映画で、これは評価は分かれるなあ。研修期間中の忙しい新人事務員(私です)が映画館まで出かけたのは現実逃避といったほうが的を射てる。映画の余韻で暗い気持ちのまま帰って、研修を続行。夕ご飯を食べて夜の散歩。傘とヘッドランプ持参だ。ボーっとしながら暗い道を歩くのがサイコーのストレス解消になる。映画は観なくても我慢できるが、散歩を禁止されたら精神のバランスをとるのに苦労する。たぶん酒に逃げ込んでしまうだろうな。

9月8日 雨がやまない。夜中に雨音で何度か目が覚めた。朝4時起床。今日は鳥海山。土砂降りの中、集合場所に向かう。前日中止の連絡がない限り、どんな天候だろうと集合場所に向かうのがルールだ。やっぱり中止。こんな日もある。昨日、玉ねぎのスライスをつくっていて指まで削ってしまった。この痛みが残っていて、山に今ひとつ気持が集中できなかったので、ちょうどいい休養と思うことにしよう。たっぷり時間のある日曜日だ。やることは決まっている。事務処理のお勉強の続き。覚えなければならないことが山ほどある。ひとりで何もかもやるって、とんでもないことだね。

9月9日 快晴で気持のいい月曜日。だが気分はいまひとつ。やらなければいけないことが山積みで、いらつき気持の整理がつかない。DMの発送日だし、振り込みや経理帳簿も付けなければならない。倉庫の引っ越しのため打ち合わせに工務店も来るし、編集もラストスパートのものが2点ある。こんな状態はあらかじめ予想できたので昨日は一日中、準備作業をしたのだが、全然対応できない。実際の局面を前にすると、どんな価値判断で優先順位をつけるべきなのか、頭は混乱するばかり。延々とこんなことが続いたら頭がおかしくなる。まずは今日一日を何とか乗り切ろう。それしかない。

9月10日 わが窮状を見かね、昨日は何人かの友人が励ましに来舎。冷やかしじゃないの、という人もいたが、いやいや来ていただくだけで頼もしく嬉しい。PCのちょっとした操作や仕事の備品類のアドヴァイス、街場の最新情報など、教えてもらえるだけでも目の前が明るくなる。ひとと話すだけで何となくうれしいのだ。昨日は初の給与振り込みをやった。都合3回、銀行から不備を指摘され呼び出された。3回目は行内にハンコを忘れた。いかに不慣れ前後不覚に陥っていたか、赤面の至り。でも失敗すると2度と同じことは繰り返さなくなる、と信じたい。

9月11日  振込みでもできるのだが最後は通帳を持って自分で銀行に出かけなければならない。ひとりで何もかもやるようになって驚いたのは、銀行に行く頻度だ。書式の厳しさも想像以上。郵便も注文はがきは無料なので、その料金が配達の度に請求される。面倒極まりない。銀行はどうしようもないが郵便の場合、はがきの料金一括後払いシステムがある、という。昨日初めて知った。もっと早く知っていたらなあ。いろんなことを自分でやるようになって初めて知ることが多すぎる。いかに世間的アホだったかを思い知らされている。いい経験だが、この年になって社会のいろんな細部ルールを知ってもなあ。毎日緊張の連続なので、体調にも少し変化が出始めている。最も警戒すべきは「ストレス」だ。これはまちがいない。

9月12日 けっこう心配性だ。小さなこともウジウジと考え込んでしまう。これは死んだ母親の性格を受け継いだもの。まちがいない。いろんなことに悩んだり、不安があっても、それを表情に出すと母親に悟られる。悟ると母は本人以上に心配、体調まで崩してしまう。なにか問題があると、だから母の顔が目に浮かぶ。が、ああ、もういないんだ、と気がついて、このごろは少し安心。心配をかけなくて済むからだ。でも母の心配性は遺伝として確実に自分に引き継がれた。なんでそんな小さなことを大げさに、とあとあと後悔することが、これまでもしょっちゅうだ。やっかいな性格を遺してくれたもんだ。

9月13日 予想外のことが次々に起きる。ついこの間、名古屋から来た友人夫婦を男鹿に案内したばかりだが、そのFさん(夫)が脳こうそくで突然亡くなった、との報。彼とはブラジル・アマゾンの密林で出会い、以来、彼の半生を記録に残そうと取材を重ねてきた。が距離感を見誤り、いつのまにか取材対象者ではなく「友人」になってしまった。彼は戦後まもなく進駐米兵と日本人女性の間に生まれた混血孤児で、エリザベス・サンダースホームの出身だ。「まだ本を書くのはあきらめていないぜ」と秋田駅で別れ際、啖呵を切ったばかりだ。名古屋での葬儀に出るつもりだが、いまはただ茫然、頭の中が整理できない。合掌。

9月14日 名古屋に行くことになった。通夜に出て次の日のお別れ会、火葬まで立ち会うつもり。20代後半に地球の反対側で出会い、彼の半生を記録しようと葛藤を続けてきた。非力な自分には荷が重すぎるテーマだったが、60を過ぎて肩の力が抜け、書けるかもしれない、と思い始めた矢先だった。Fさんは戦後の日本が産み落とした混血孤児。進駐米兵と日本人女性の子供だ。誰かが彼の生涯を記録しなければ戦争の記憶は風化するばかり。書きたいが、その力が自分にないのもよくわかっている。まずは目の前のこの無力感をまず何とかしなければ。執筆に関してはそれからじっくり考えてみよう。
(あ)

No662

総理大臣になりたい
(講談社)
坪内祐三

著者は言わずと知れた活字人間。文学者である。文学や文化をレスペクトしているので、その組閣人事はそうしたことに携わる人たちがメインになる。その興味深い内閣の顔ぶれをここで書くのはルール違反。だから書かないが(本を買って読んで)、その人選だけでも本書を読む価値はある。そもそも著者はなぜ総理大臣になりたいのか。幼少時の個人的な体験から大学、社会人といった半生の中での政治体験が語られている。とにかく著者は権力が嫌いなのだ。権力が嫌いな人間がとるべき最善の道は自分が最高権力者になること。だから総理大臣を目指した、というのがその理由だ。知見や歴史認識も随所に散見できる。たとえば太平洋戦争。ソ連が参戦したのは、日本の敗戦が確実になり、戦後国際社会の政治の中で自国の主張を通すためだ。日ソ不可侵条約を破ってまで、ソ連は日本に戦争を仕掛ける意味があった。それを察知したアメリカが、日本に爆弾をおとしてすばやく戦争を幕引きした。ソ連が参戦しないと原爆は日本に落とされなかった。原爆が落とされていなければソ連との戦争が長引き、日本は朝鮮半島と同じ運命をたどっただろう、というのが著者の知見だ。著者が望む社会とは、若い人が小さな町で新しい本屋をつくって暮らしていけるような国に戻したい、ということだ。少ないお金でも幸せに暮らすことができる。それを可能にするには知性。知性を磨いていけば幸せに生きていける。ここが著者の一番言いたいことのようだ。本書は語り下ろし単行本だ。

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