Vol.670 13年9月21日 週刊あんばい一本勝負 No.663


台風・名古屋・アルバイト

9月14日 名古屋へは電車を乗り継いでいくことに。秋田を朝の9時に出て、葬儀場のある岐阜県可児市にたどりついたのは夕方5時過ぎ。10人ほどの身内だけのキリスト教による葬儀だった。電車の中ではずっと三浦展『団塊世代の戦後史』(文春文庫)を読んでいった。前に読んだのだが、あらかた内容は忘れていた。引き込まれるように集中して読了。葬儀では牧師さんが何度も「富」という名前を「とみ」と誤読。気になった。「とむ」と読むのが正しい。そういえばうちの母の葬儀の時も、坊さんが「あんばい居士」といった。という自分も葬儀場のある「可児市」をずっと「かこし」だとばかり思い、駅員にヘンな顔をされてしまった。トムさんは名古屋在住だったが、長女のいる可児市で亡くなったので、葬儀場もそこになったのだ。それにしても秋田から名古屋までは遠い。

9月15日 台風18号に追われるように名古屋から東京に逃げ帰り1泊。本当はもう1泊したかったが台風が怖い。翌朝、新幹線で朝早く帰途につくが、西日本ではもう被害が出始めていた。電車は順調に北へ北へと走ったが、盛岡で捕まってしまった。到着寸前に、「盛岡―秋田間は大雨で終日運転見合わせ」のアナウンス。すぐに駅横のメトロポリタン・ホテルに駆け込んだ。駅員に抗議したり、構内で寝泊まりする気はなかったから、まずはホテルがとれて一安心。雨風を縫って夜の盛岡へ「空元気」で繰り出した。さすが人出はなく、?み屋もスカスカだった。明日は電車が動いてくれるだろうな。それにしても自然災害の規模は年々荒々しくなるばかり。どうなってるの。

9月16日 台風一過、盛岡は透き通るような青空。朝の新幹線に乗り、昼前に無事秋田着。秋田も好天だ。すぐに仕事の鬼へと変身。といっても経理と受注テーブルの例の「地味で達成感のない事務仕事」だ。こんなもん、はやくマスターして鼻歌まじりでこなしたい。でも何度やっても引っかかってしまう。DMの注文も入りはじめた。こちらにほとんどの時間がとられる1週間になりそうだ。時間がほしい。1日が短すぎる。1週間がはやすぎる。銀行に行こうとしたら自転車がなくなっていた。この間は山用の時計をなくした。肝心のところで気持が緩んでいる。

9月17日 身辺にいろんなことが降ってわいた様に起きる。そのいちいちに反応している時間もない。自転車がなくなったり、愛用の山用時計を紛失したり。でも悔やんだり悲しんでいるひまもない。将来一人になるために人員補充をしないで、お勉強をしているのだが、いっこうに光が見えてこない。能力がないのはわかっているが、努力で何とかなるような甘いもんでもない。失敗しながら、怒られながら、1歩1歩前に進むしかない。今月に入って雨で鳥海山が中止、友人の葬儀で先週の山伏岳は取りやめ。今週末の駒ケ岳だけがわずかながら光明だ。晴れてくれればいいなあ。

9月18日 快晴。いい具合に今日は学生アルバイト2名が倉庫整理の手伝いに来る。Sシェフは事務所周りの庭の選定作業をやってくれる。こちらも1日肉体労働になりそうだ。山はご無沙汰だし、毎日机の前で唸ってばかり、夜もよく眠れない日々だが、今日、たっぷり汗をかいて生まれ変わるきっかけにしたい。少しずつ経理や受注管理の基礎もわかるようになってきた。支払いや銀行通い、仕事の流れや仕組みも理解できるようになってきた。まだひとりになったらパニックになるのはまちがいないが、それでも孤島で食べていけるぐらいは大丈夫、といった心境。それにしてもジブリの宮崎監督の引退表明はわかるなあ。高齢化に抗いながら納得のいく作品を長い時間をかけて、なおかつ300人もの社員を抱えながら「持続」していくなんて、市場主義的にありえない行為。映画が大ヒットしても会社は火の車、ということが現実に起きているいい例だ。

9月19日 Sシェフのプロはだしの剪定技術には驚いたが、役に立たないだろうとあきらめていた学生アルバイトが体力にモノ言わせて奮闘してくれたのは収穫。また使えそうだ。夕5時には作業を終え、ご褒美に学生を連れて駅前で食事。作業着のまま外にでたら寒い。H君からパーカーを借りしのいだ。学生はテレビも新聞もない日常を送っているのに就活になるとそれらのメディアに憧れるのはなぜ? という話題で盛り上がった。それにしても体重が落ちたせいか昔と違って寒暖に敏感になった。重ね着を基本にして一枚余分に上着を持ち歩かなければならない。重ね着は山歩きの影響だが、寒暖に敏感なになったのは単に年をとったからだろう。
(あ)

No663

総括せよ! さらば革命的世代
(産経新聞)
産経新聞取材班

装丁も書名もお世辞にも「いい」とは言えない。でも1970年前後の若者の反乱のイメージは、今の若者にはこんなものに映っているのかもしれない。劇画チックで粗野で安っぽく品がない……当事者(私です)としてはこの手の本には食指が動かない。ましてや当時の「闘士たちの同窓会」なるものに出席するような趣味も持ち合わせていない。なのに本書を読もうと思ったのは、本を取材、執筆したのがあの産経新聞であり、そこに所属する70年前後生まれの若い記者たちであったことだ。右寄りと言われる産経新聞が全共闘を真正面から取り上げるというのは、そのこと自体が驚きだ。加えて若者たちから見た70年代像というものにも興味がある。基本テーマは「全共闘世代が、世の中を悪くしたのではないか」という疑念だ。このスタートもいい。彼らは戦後の豊かさだけを享受し、いまだ社会の中枢に居座り、何一つ世の中を変ず、若い世代に負の遺産だけを押し付け、逃げきろうとしている。そんな「ずるい世代」の深層に迫りたい、というのが企画意図だ。その狙いは当たった。政治思想そのものを俎上にのせず、あくまで時代の人間模様にスポットを当てたのがよかった。「右」や「左」といった垣根をこえた若い記者らのまっすぐな視線が連載を豊かなものにしている。ちゃんと読むと、これは産経本紙が連載したわけではなかった。大阪支局とネットニュースにのみ掲載された記事のようだ。このテーマじゃ本紙は拒絶反応起こすよなあ。

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