Vol.679 13年11月23日 週刊あんばい一本勝負 No.672


毎日雨ばかり、でも心は晴れてきた

11月16日 昨日今日と学生アルバイトたちが来ていて事務所の内外(倉庫)ともにぎやかだ。若い人の声が響き渡る空間というのは気持ちいい。希望のかけらもない高齢者(私です)と、若さと希望に満ちあふれた大学生がぎこちなく交感している。なんだか「元気」をもらっている気分になる。世の中は嫌なこと、うまくいかないこと、面倒なことばっかり。でも少なくとも彼らには今日と明日のことぐらいしか胸中にない。お昼に私がどこの食堂に連れて行ってくれるのか、当面の大問題はそこだ。もちろん未来のことはだれにも分からない。年齢を分けているのは「希望」の有無だけなのかも。

11月17日 今日の山は「竜ヶ森」。あまり知られていないが県北にあるブナ林のきれいな山だ。もちろん山はもう雪。この時期はスパイク長靴で登るのが常識だが、3週間前、大仏岳林道歩きでドロドロになった登山靴がそのまま、それをはいて登った。雪で靴をクリーニングしようという横着なアイデアだ。アイデアはまあまあだったが、登り口はまだ無雪でぬかるみ。靴は少し汚れが落ちたという程度。けっきょくは洗わなければならない。横着さの結末はわかってもいい年なのに、なんだかなあ。来週の日曜登山は横手の「御嶽山・黒森山」だが本当の目的は山の麓にある佐々木リンゴ園でのリンゴ狩り。1台の車に人間は3人まで。それ以外はリンゴスペース。今から楽しみだ。

11月18日 朝から雨。寒さと陰湿さが混じりあった不快な雨。月曜日は外出や注文も多いし今週の計画を立てなければならない。40周年イベントの後始末もある。1週間で一番忙しい日なのに雨、さいさきが悪い。昨日の竜ヶ森登山は「これぞ小春日和」という青空を堪能。ようするに昨日今日でプラマエゼロということか。今週もまたいろんな困難が目の前に壁をつくっている。その壁をもがき苦しみながら乗り越えなければならない。できれば壁はないほうがいいのだが、乗り越えると確実に新しい世界が開ける。その壁のおかげで、自分が知らなかった世界へ導かれたことに後で気がつく。昨日より成長した自分と出会うために壁はある。この頃はそう考えることにしている。

11月19日 月曜日をクリアーすると何となくホッとする。まるで1日で1週間が終わったように錯覚してしまう。これは問題だなあ。11・9の40周年記念イベント残務がようやく終わりつつある。これが終われば本当にリラックスできそうな気もするが、そううまくも行かないだろう。細かな部分がどんどん後回しにされているし。今年はなんだかもうずっと走り続けている。まだ走り続けているから走っているという感覚すら薄れてしまった。今年はもう無理に仕事を入れず舎内の片付けや模様替えをしながら「隠居老人」のようになって年を越したいものだ。

11月20日 いろんな意味で大きな山を越えた、ような気がしている。油断はしていないが数カ月の七転八倒はうそのように少しずついつもの日常が戻ってきている。ここ数日で「11・9」イベントの残務を終了予定。夜はいつものように本が読めるようになったし、DVD映画も楽しんでいる。高波に翻弄される小舟の悲哀をたっぷりと味わったが、これはいい経験だ、プラスの方向に生かしたい。それにしてもありがたかったのは友人たちの後方支援だ。山仲間モモヒキーズの人たちにはずいぶん助けてもらった。お金や主従でない関係の人たちが親身になってバックアップしてくれた。こうした支援がなかったら、どこかで自棄になって放り投げていたかもしれない。感謝。毎日寒くて陰湿な雨が続いているが、心はけっこう晴れやかな今日この頃。

11月21日 普段は省エネで過ごしているのに、ここ数カ月は10馬力ぐらいの能力をフル動員……と書いて印字の手が止まった。「馬力」って、なんという前近代的な表現とおもったのだ。最近あるラジオ番組で知ったのだが、1馬力というのは「75キロの荷を1秒間に1m運ぶ力」だそうだ。知らなかった。それなりに科学的根拠があったわけだが、人間の力を馬力に例えれば約10分の1馬力。とすれば10馬力というのはちょっと大げさか。せいぜい2馬力といったあたりにしておこう。ここ数日少しヒマになってきたのでせっせと事務所掃除をしている。隅々までピッカピカだ。今日の夜は近所の工務店の人たちをシャチョー室宴会に招待。すき焼き&蕎麦会だ。料理担当はSシェフ、小生はすき焼き担当で朝から食材の買い出で2馬力のフル稼働。

11月22日 「荒野」という言葉はなんだかかっこいい。その「荒野」を家族に置き換えた本を読んだ。身勝手な夫や息子たちと決別して家出をする50歳前の主婦の孤独と希望を描いた桐野夏生『だから荒野』(毎日新聞社)だ。久々に読みごたえのあるおもしろい小説だった。数か月前、銀行員の夫が家出する小説、島田雅彦「ニッチ」を読んだばかりだ。家出本(勝手に命名)が好きなのかなあ。島田の本はまるでアウトドア冒険小説でリアリティがさっぱり感じられず、物語も尻すぼみの印象が強かった。桐野の本を読んで物語はつくづくディテールだと思った。物語には女性のほうが向いている。島田と桐野の本を読み比べながら、そんな意味のないことをぼんやり考えてしまった。
(あ)

No672

里山資本主義
(角川書店)
藻谷浩介・NHK広島取材班

 10月からほとんど一人で仕事をしている。やめていった社員の補充をしないことに決めた。将来のことを考えるとこれが一番「間違っていない道」だとおもったからだ。いや、人に迷惑の掛けない「フェイドアウトへの道」といったほうが正確かもしれない。そんなこんなで実はしばらく本を読む時間もないほど忙しい。これまでやったこともない経理事務や受注管理のパソコン仕事まで何でも一人でこなしている。こうした環境の激変もあるが、自分はいま何を目指し、どこへ行こうとしているのか、ふと疑問に思い、眠られなくなることもある。それが本書を読んで驚いた。あれッ、これってかなり自分の考えに近い、と。実際例の多くが広島なので秋田の自分のやっていること比較しながら読んだのだが、これからの生き方、働き方の、古くて当たり前のことが書かれているだけだ。これが、でも新しいようなのだ。目新しさのない田舎での生き方や働き方も、世界の最先端の金融経済の世界と比較されると、なんだか日本の再生の道はここにしかないような気になる。反グローバリズムの「安心の原理」を基軸にして新しい社会のモデルをつくろう、という論理なのだが、そううまくいくのだろうか。そんなにびっくりするようなモデルなの、というクエスチョンもあるが、自分が目指すものと近いのは確かだ。


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