Vol.681 13年12月7日 週刊あんばい一本勝負 No.674


静かで穏やかな師走でありますように

11月30日 今年最後の愛読者用ダイレクトメールの原稿を脱稿。来週から印刷にまわり、発送は再来週。今年は思うところがあって年4回発行のDM通信を今年限定で年6回に。やれる、と踏んだのだが、夏以降、なんだかんだと身辺に異変が続き、しまいには一人仕事に突入。こうした異常事態(自分で望んだことだが)に直面し、もうまったくDMのことを考える余裕がなかった。けっきょく今年最後のDMが5回目で、読者との約束に1回足らなかった。申し訳ない。それでも自分的には、こんな状況で、よく頑張りましたね、と肩のひとつでも叩いてやりたい心境だ。でも読者の皆さんには結果的に法螺を吹いたようで正直なところ肩身が狭い。肩をたたいたり、肩身が狭かったり、肩ばっかりが出てきたついでに、肩の冷え症はボタン・モックの無印良品寝間着で完治しました。この寝間着、お勧めです。

12月1日 毎日のように「喪中により年賀を欠礼」という葉書が届くようになった。そうか、もう年賀状の時期になったのか。今朝、東京の鳩居堂で素敵な年賀状を買ってきた、と自慢げに見せてくれたカミさんが、突然ハッとしたように「あらッ今年は喪中だった」と一転、無念そうにため息。そうだった6月に母を亡くしたんだ。もうずっと前にことのように思っていたので「年賀欠礼」を他人事のように思っていたが、自分も当事者だったののだ。幸いなことに(?)、私や会社は年賀状を出さなくなって20年以上にもなる。直接のきっかけは、年末忙しく暇がなかったこと。毎日のように大量のメールや手紙を書いているので、なにをいまさら、という気分が強かったこと。たぶん、そんな理由だったような気がする。でも今年は堂々と「喪中に付き年賀を欠礼します」っていえる。

12月2日 トーハン元社長・金田万寿人さんの訃報を新聞で知った。享年72、若すぎる。30年以上前、取次口座を開設するため何度か東販(当時はこちらの名前)本社を訪ねた。その時の担当が金田(課長)さんだった。「無明舎さんなら問題なし、やりましょ」と即決していただいたのだが、結果的にはこちらから取引を勝手に止めてしまった。その理由を書いている紙枚はないが、当時、取引口座開設は新規出版社にとって難関中の難関。多くの人から「もったいないね」と批判されたが、それっきり金田さんとお会いすることはなかった。社長になったことは知っていたが、一番厳しい時代の経営を任され、祝福よりも同情される時代のかじ取りだったので、さぞ大変だったことだろう。死因は心不全。ご冥福をお祈りしています。

12月3日 昨日、トーハンの元社長の訃報について触れたのは、自分の裡でもちょっと唐突だった。その訳を考えていてハタと気がついた。今、自分や会社の置かれている状況と、あの当時の立場がよく似ているのだ。大手取次との取引を断念するという決断は、長い時間をかけてわかったのだが「正しい判断」だった。もし取引をしていれば、その重圧で無明舎はとっくに消えていたにちがいない。あそこが大きなターニングポイントだったのだ。人員補充をせずにフェイドアウトに向けて、これからの10年を一人でやっていく。という40年目のこの苦渋の判断は、あの30年前のトーハンとのやりの「決断」とそっくりな状況だ。たぶん、この自分の40年目の判断に間違いはない、とトーハン元社長の死で、自分に言い聞かせるように思い返したのだ。

12月4日 毎朝、事務所で一杯のコーヒーを飲む。この1杯しかコーヒーは飲まない。そんなに好きではないのだ。外で飲むときはもっぱらラテだ。牛乳がたっぷり入っていれば抵抗なく飲める。そこで家でも牛乳をチンし、そこに朝の1杯のコーヒーを注いで、ラテにして飲むことにした(今日から)。創ってもらったばかりのSシェフ自作の大ぶりのマグカップが、ラテにピッタシだ。朝のコーヒーは新聞を読みながら飲んでるうち、冷めきって捨ててしまうことしばしばだった。これなら熱々を飲める。さまったらチンすればいい。しばらくはラテで行こうかなあ。

12月5日 今日は学生たちのバイト日。前の日から彼らにやってももらう仕事の内訳をメモ、作業の準備をする。最近はもっぱらガテン系(肉体労働)からホワイト系に仕事の比重が移りつつある。コンピュータ関連だ。彼らが最も得意とするところであり、こっちが最も苦手な分野なので、歯車がうまくかみ合っている。カミさんも便乗して年賀状(寒中見舞い)印刷やサークル住所録をエクセルで作ってもらったり、バイト依存の傾向が出てきた。これは要注意。車で大学正門まで送迎し、昼飯は近所のチェーン店(うどんや)。8時間びっしり働いているわけではなく5時間が限度。彼らはバイトをかけ持ちしている。うちが終われば夜の飲食店での仕事が待っている。私などよりよっぽど忙しい。そして3年生にもなると就活でもうバイトすらできなくなる。大変だよな、いまの若者たちは。
(あ)

No674

だから荒野
(毎日新聞社)
桐野夏生

 荒野という言葉はなんとなくかっこいい。どうしてだろう。この言葉に身の丈以上の意味を仮託してタイトルをつけた詩の朗読やコンサート会場に何度足を運んだことか。そのたびに羊頭狗肉の思いにがっくり、しおれて帰ってきたこともたびたびだ。本書を読むとなるほど「荒野」という言葉の本来持っている意味が理解できる。「遠くへ。遠くへ。誰も行ったことのない遠くへ、行ってみたい。夜の底に届くように。そこに何があるのか、見届けたい。」と帯裏のコピーにある。このコピーが「荒野」の意味するところを実によく示唆している。46歳の誕生日、身勝手な夫や息子と決別し、旅に出る主婦の物語だ。ここでは「家族」が「荒野」だ。その荒野に生きる中年女性の孤独と希望が描かれている。中年女性の内面を描いてこの人の右に出る人はいない。荒野という言葉を男性名詞のように思い込んでいたこちらの偏見を軽々と著者は越えていく。1200キロにわたる彼女の旅路(逃亡劇)の細部にもリアリティがあり、登場人物の夫や息子の造形も陳腐なステロタイプではない。同じような家出物語である島田雅彦『ニッチ』が、アドベンチャー小説としては面白くても、なんとなく劇画風のシュールさ逃げ込んでいて物語の重厚さから逸脱しているのに比べ本書のリアリティは見事としか言いようがない。

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