Vol.685 14年1月4日 週刊あんばい一本勝負 No.678


明けまして、おめでとうございます

12月29日 ついにやってしまった。咳が止まらない。あきらかに喉にはいりこんだウイルスを外に出そうと身体が必死にもがいている。救いもある。熱もないし、だるさも感じない。いまのうちに治してしまいたい。熱が出てからでは遅すぎる。いつも通り、市販薬や栄養剤で自然治癒力に頼っている。それだけでは不安なのでカミさんの病院薬も服んでみた。もとはといえばカミさんからうつされたものだ。師走の買い物で二人っきりになる機会が多かったので、そこでうつされたのだろう。正月は文字通り寝正月になりそうだ。シャレにならないなあ。

12月30日 病院薬が効きだしたのか、だいぶ楽になった。でも咳はまだ止まらない。夫婦でゲホゲホやっている年の瀬、なんだか情けない。ここ数年、お正月だからといって何か特別なことは、何もしない。まったく普通の日常と一緒、というのもけっこうヘンな家族だが、本当に何もしない。おせちもなし、紅白も見ない、旅行にも行かない。楽しみは録画しておいたテレビ番組をまとめて観ることぐらいか。それで十分。散歩の頻度が増えるのもいつものこと。早く普通の生活(仕事)に戻りたい。さらに咳が止まってくれれば何も望むものはない。

12月31日 咳がまだ止まらない。熱もないし、だるさもない。全身からエネルギーが枯渇しつつあるような「疲れ」だけが、確実に身体の芯に巣食っている。これが今風の風邪? 大みそかと正月を寝て過ごさなければいけないというのは、さびしい。さびしいが納得(諦感)もしている。時間を私的に使える正月休みのダウンなので、誰にも迷惑をかけない。でも、お正月恒例、筑紫森登山はダメになりそうだ。おとなしく寝ていよう。昨日、山仲間が自作の青竹の花活けと椿を持ってきてくれた。これはうれしいプレゼントだ。しめ飾りも準備していなかったし。そんなわけで、みなさんよいお年を。

1月1日 明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがい申し上げます。
年明けの朝は止まらぬ咳にうなだれながら起床しました。お屠蘇らしきもので新年を寿ぎ、そのまま、また寝てしまいました。トホホなお正月ですが、昨日よりはずっと楽です。大晦日は9時半には寝床へ。そのせいか午後からは身体もシャキッとしてきたので散歩。駅前まで出て、広小路を通り千秋公園を抜けて帰ってくる秋田市横断散歩を決行しました。当たり前のようにお店が開いているのに驚きましたが、三吉と弥高の神社前の渋滞はいつもの通り。渋滞をものともしない人たちの信心深さには感心するしかありません。歩いてお参りするという選択肢にはないのかしら。余計な御世話だけど。

1月2日 体調はほぼ戻ってきた。まだちょっと咳は出るが、食欲はある。仕事をしたいが、今日は箱根駅伝も観たい。ここ2日間、余った時間はずっと録画していた『カンブリア宮殿』を観ていた。経済番組だが意識して録画したわけでなく手違いで半年分くらいが定期録画されていた。ちなみに定期録画しているのは『イタリア 小さな村の物語』だけ。時代の先端を行く成功起業者を取り上げた、こうした経済もの番組も嫌いではない。組織や企業とは無縁に生きてきたので、逆に興味があるのかもしれない。今のところ一番好きなテレビ番組はNHKの「サラメシ」。経済とスポーツと食い物の知識はテレビから得ることが多い。テレビ漬けの日々だ。

1月3日 ここ数年、どんなことがあっても同じ時間に起床することを心がけている。休みだからといって朝寝をすると夜寝られなくなり生活リズムを崩してしまう。二日酔いの朝も無理やり定時起床だ。夜寝られなくなると、そのしわ寄せが仕事や生活にもろに出る。食事を作るカミサンの機嫌も悪い。掃除や洗濯のタイミングまでこちらの朝寝のせいにされてしまう。毎日曜日は山行なので、この日は朝4時や6時起床が普通だ。それ以外は正月だろうが夏休だろうが同じ規則正しい生活を意識している。自然に酒量も落ちた。本当にお酒は飲めなくなってしまった。酒って本来多くの仲間たちと祝杯をあげるためのツールなんだ、と最近わかった。遅いけど。
(あ)

No678

お伊勢ものがたり
(集英社)
梶よう子

 個人的にも「お伊勢参り」に興味がある。江戸時代、幕藩体制の中で藩外に出ることが困難だったが人たちが、一生に一度、お伊勢参りだけは大手を振って許された旅行だった。それは東北の地でも例外ではなかった。はるばる西方まで何か月もかけ、嬉々として出かけ、帰ってからは報告会がもよおされた。今もお伊勢参りをした人々の「紀行文」がいたるところに数多く残っているのはそのためだ。当時の人にとってその旅がどれだけ重要なものだったか、うかがい知れる資料だ。実は私の先祖もお伊勢参りをし、その紀行を残している。さらに興味ひかれたのは金森敦子さんの本によるところ大だ。「きよのさんと歩く江戸六百里」や「伊勢詣と江戸の旅」などには大きな感銘を受けた。あの当時、女性でも安全に旅ができたことが新鮮な驚きだった。本書を読み始める前に巻末の参考文献を見てみると、案の定、金森さんの前記2著が載っていた。
 本書は祖母まつ、母香矢、孫の雪乃の3人の女たちがお伊勢参りに行く物語。江戸から伊勢までの旅程が12章に振り分けられ、主が変わりながら事件を引き起こし、旅が進んでいく構成だ。小説はティテールがすべて。宿に入る際のルールや茶店のメニュー、川を渡るときの危険度から人相風体まで、まるで見てきたように事細かに描写されていれば、それだけで時代物は合格だ。細部が荒っぽいストーリーをカバーしてくれるのだ。細部が物語を膨らませもすれば、しぼませもする。残念ながら本書では、そうした背景がよく書き込まれているとは言い難い。物語の面白さに力点を置くあまり時代背景のデティールがおろそかになっているのが気になった。

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