Vol.689 14年2月1日 | 週刊あんばい一本勝負 No.682 |
はれてケータイ不携帯者になった | |
1月25日 週末は膝痛もあり山行をキャンセル、おとなしくデスクワークだ。やっつけてしまわなければならない仕事をこの際きれいにしてしまおう。この頃気が付いたのだが、仕事中、独り言を言うようになった。「コノヤロッー」とか「がんばれジブン」とか「負けるなよぉ〜」とか。くじけそうになると声を出して自分を鼓舞しているのだ。周りに誰もいないからできる技だが、けっこう効果があるような気がするのだが、どうだろう。自分の声を聴いて素直に「うん、そうだ、もうひと頑張り」、なんてうなずいているもう一人の自分がいるって、青春時代かおまえは。いや、これは独り言。ところで膝痛の原因だが、枕を替えた(高くした)ことと関係が……と唐突に思い立ち、昨夜元の枕に戻した。そうしたらなんと膝がたちまち軽くなった、ような気が、しないでも、ない。 1月26日 2日間の温かい雨のおかげで雪が解けた。除雪車も雪山を根こそぎ持って行ってくれたので周辺はなんだか春が来たような雰囲気だ。といっても冬も雪もこれからが本番。そのことを痛いほど知っているから、気分は暗い。どこかに「晴れ間」のようなリラックスタイムがほしい。今日は太平山中岳に登る予定だったが、体調と仕事の都合でキャンセル。この雨だけど山中はどうなのかなあ。登っている人たちが心配だ。もう2週連続で山はご無沙汰。年明け早々リズムを崩してしまった。 1月27日 事務所に閉じこもって仕事をしていると、いろんなことを考えてしまう。喜怒哀楽の入口と出口が極端にせまくなって息苦しくなってくる。そんな時は外に出る、しかない。外に出ると建物の内で考えていたことが、さして意味のある心配事でもないことがわかり、すっきりする。散歩の効果は絶大だ。リズミカルに外を歩くことで脳を活性化させることができる、というのは科学的にも根拠あるメカニズムだそうだ。だから散歩をしているわけではないが、「ひとりでもさびしくない自分」=「孤独力」を高めるトレーニングをしている、という要素も散歩にはある。孤独って大切だ。 1月28日 1日で一番楽しい時間は朝の仕事前のコーヒータイム(新聞を読む)と夕食後の散歩。仕事は好きだが、さすがに楽しいというのとはちょっと違う。その前後の時間が1日で最もリラックスできる時間帯だ。コーヒーは朝の1杯だけ。これ以上コーヒーを飲むことはない。そんなに好きなわけではない。スーパーで粉を買ってメーカーで淹れる。最近は大きなマグカップ(Sシェフ作)に牛乳を入れチン。そこにコーヒーを注ぎ入れてラテにして飲む。先日、ブラジルの友人からブラジル産のコーヒーをいただいた。昨日はベトナムのWHO医師T先生が来舎、お土産にベトナムコーヒーをいただいた。コーヒーに詳しくないので味の違いまで云々できないのが残念だが毎朝、今日のベトナムは美味しかったなあとか、ブラジル産はほろ苦さがいい、なんて言いながら新聞を読むのも楽しい。 1月29日 昨年秋、もう30年も前につくったギャバジンとコールテンのスーツをリフォームした。持つだけでも手がしびれてくるほど昔風の「重い」服だが、愛着が強くリフォームを決心した。ズボンは予備にもう一本つくっているので計4本のズボンをリフォームした計算になる。この冬、毎日交互にこの4本のズボンをはいている。ほとんどはきたおさんばかりの勢いだ。厚手なので暖かい、重いので下半身が安定する。毎日穿いても着崩れしない。冬の間はこのの2種類のズボンだけで問題なく過ごせそうだ。意地汚い話だがじゅうぶん元はとったなあという実感。たまに他のズボンをはくと、あまりに軽くてスースー、風邪をひきそうになる。 1月30日 鈍感力を半ば自慢にしてきたが、さすが今日のニュースには震え上がった。STAP細胞の作製成功だ。生命(細胞)の不可逆性という、すべての大前提となるテーゼを覆した山中教授にも驚いたが、今回の万能細胞はそれ以上の驚きだ。一番驚いているのは山中教授かも。不可逆性の細胞が初期化できたり書き換え可能ということになれば、夢のまた夢としか考えられなかったタイムマシンという「装置」もにわかに現実味を帯びてきた。時間が戻せる技術が確立されたとなれば、勢い夢はそこまで膨らんでしまう。それにしてもこのニュース、あるテレビのワイドショーでは銀座の高級クラブからハイヒールを盗んだ変態男と同列の扱いだった。 1月31日 ケータイ(iphone)とPCタブレット(ipad)の契約を解除した。持っていてもほとんど使っていなかったので、せいせいした気分だ。解約処理が面倒くさそうだったがものの10分で両方ともあっけなく終了。拍子抜けした。これではれて日本でも数少ないケータイ不携帯者になれたわけだ。といっても普段もほとんど使うことはなく、いつも電源は切りっぱなしだった。使うのは旅行に出た時だけ。これからは外出用にシンプルなガラケー購入を考えているが、今のところ少しでも長くケータイ不携帯者の身軽さを満喫したい。何度も言っていることだが、ケータイをもたないことに何ら思想的な意味はない。不意の電話が嫌いなだけ。と同時にケータイなんかなくてもちゃんと生きていける、という心意気を示したい気分もちょっぴりある。 (あ)
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