Vol.704 14年5月24日 週刊あんばい一本勝負 No.697


眠れなかったり、熟睡したり……

5月17日 印刷所サイドの事情によるものだろうが、ゲラのやり取りや納品は、ほとんどが週末に集中する傾向がある。けっきょくこちらは週末出勤になるのが常態になっている。今日もゲラの返送が3点、新刊納品が1件という具合。いま、無意識にゲラは点数、新刊は本数で表記したが、本を数える時に「冊」という助数詞を使うのはなぜなの、と疑問に思ったことがあった。調べてみると、昔、本は木簡に印字し、ひもで結んで「柵」のような形だったからだ。なるほど知らないことって多い。さすれば電子書籍もやはり1冊2冊と数えることになるのだろうか。木簡とデジタルではあまりに落差がありすぎる。やっぱり電子書籍は本ではないのかも、ナンチャッテ。

5月19日 もう久しくなかったのだが昨夜は11時間熟睡。年をとると長く寝ていられなくなるのだが久々の快挙。夜8時には床に入った。体調が悪くて起きていられなかったのだ。昨日の朝は4時起きだった。鳥海山登山のためだが、祓川登山口まで行き悪天候で中止。そばにある東光山に登ってきたのだが、その間、車の後部座席に乗ってデロデロに車酔いしてしまった。カーブの連続だったためだろう。登山の最中も、下山後も体調不良は回復をせず、そのまま家に帰ってダウン、というわけである。11時間も熟睡すれば、ほとんどの病気はすっとんで行ってしまう。今朝は快調。夏のDM発送が近づいている。忙しい週になりそうだ。

5月20日 HPトップ画面の写真は山形県天童市の集落にある果樹園。「小山家城址」と看板には書いてある。山家師時(やんべもろとき)は20年間、ここに居城し、慶長8年(1603)、秋田県増田に「逃げ」帰農した。逃げたのは最上家との確執か争いの敗北の結果のようだ。秋田ではなぜか安倍姓を名乗ることになる。そう私のご先祖さまである。古い写真画像を整理していたら、この写真があったので使った。他意はない。父母のこともそうだが、生前よりも亡くなってからのほうが折に触れ思い出す。こちらがそちら側に近づいているからなのだろうか。死者への想いを深くするようになったのは、やはり60を過ぎてからだ。昔ならとっくに死んでいてもおかしくない年だもんね。

5月21日 事務所の棚の整理をしていたら泡盛のビンが出てきた。スピリッツ系は好きなほうだ。さっそく水割りで氷をたっぷり入れ呑んだ。実に美味い。夏はこれに限る。沖縄の人も泡盛は水割りで飲むことが多い。焼酎とはちょっと違う味わいだ。南の酒といえば、ある方から頂いた大分の酒蔵の15年物の日本酒も手元にある。飴色の酒はほとんどシェリー酒だ。度数が20度もあるので、お猪口一杯で臓ふにしみわたる。毎日これもチビチビ嗜んでいる。そんなわけで最近、酒量が増えた。それに伴い体重もじりじりと上がっている。要警戒注意報を発令中。

5月22日 予想より1週間ほど早く「夏DM」の作業を終えた。この手の仕事は遅れるのが常識だが、新入舎員がいるせいか仕事が全体的に早まっている。ゴテゴテならぬ準備万端状態だ。いやいや新人が戦力になっているわけではない。新人に無様でだらしないサマをみせられない。そのために無理して気張って、がんばってしまうためだ。ひとりだと怒る人も注意する人もいない。それをいいことに都合よく仕事のスケジュールを変更できた。今はそれができない。大人として、先輩として、新人に見本を見せるため、実は汗だくになって努力している、といったほうがいい。人員が増えたら、かえって忙しくなったわけだ。なんてこった。今日は事務所で国際教養大Y君の新聞社就職祝いの会だ。新人は朝から買い出し。

5月23日 昨夜は一睡もできなかった。目が冴え、いろんなことを考えて、眠られなくなった。寝床に居ても息苦しくなってきたので、服を着て散歩に出かけた。朝4時はもう明るい。夢遊病者のように街をさまよい、事務所に戻ってきたのは6時。まだ朝飯には早い。それにしても11時間熟睡する日もあれば、一睡もできない日もある。これとて1年に1回か2回のものだが、これからはこんなことが多くなるのかも。DM関係の仕事は終わったし、今月末にできてくる新刊の準備も抜かりない。仕事が順調に進行しているときに限って、こうした「ちょっとした異常」が立ち上がってくる。人生は一筋縄ではいかない。
(あ)

No697

犬の伊勢参り
(平凡社新書)
仁科邦男

 渋谷にある忠犬ハチ公像は、ハチ公本人が生きているうちに「商業的な目的」で建てられたものだ。そんなハチ公は本当に「忠犬」だったのか、という疑問は今も識者の間に根強く不信として残っている。が、巷間のハチ公神話は、いまだに揺らぐことはない。「主人が亡くなったことすら気がつかない犬はアホだ」と弾劾する論考もあったが、本書を読むと、「忠犬ハチ公もありだな」と考えを修正したくなる。単独で伊勢神宮に代参する犬の謎を追ったのが本書だ。江戸時代の伊勢参りの記録は数多く残っている。手前みそだが、私の祖先も秋田から伊勢参りの記録を残している。そうした数多い文献の中に「単独で参詣する犬」の記録が少なくなくある。事実は小説より奇なり、である。最も遠距離では青森・黒石から伊勢神宮往復の記録がある。山形もあるし、近隣である近畿や山陰からの単独行は日常的にあった。意外なところでは、朝鮮通信使たちの食事のために藩が広島の町に放し飼いにしていた豚が、なんと伊勢神宮に代参した記録まである。本書を読んでいると、ハチ公が10年近く実家のある笹塚から渋谷駅まで通い続けたことも、充分ありうることのように思えるのだ。エサ目当てには違いないだろうが、道筋を違えないため「世話をする人間」の存在があった。そうしたアテンドがあれば犬も日本中を旅できたのである。いやぁ、ショック。

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