Vol.79 02年3月2日号 週刊あんばい一本勝負 No.76


棚卸しでヒートアップ

 舎では年に二回、棚卸しをします。決算月の八月と二月で、今月が棚卸しの月でした。本は、事務所となりの倉庫(第一倉庫と呼んでいます)、事務所から七キロメートルほど離れたところにある第二倉庫、事務所の三カ所に在庫されています。いずれも天井までびっしりと本で埋め尽くされています。約四半世紀の刊行物が在庫されているわけですから半端な点数や総量ではありません。
 棚卸しは岩城営業部長の指揮で、シルバー人材センターから四名、金谷隊長率いる主婦軍団一〇名の大人数で三日間に渡って行われました。毎年、人と時間の大量投入でしのいでいる作業なのですが、これだけの人間が倉庫の中に出入りすると、その熱気は事務所にまで伝わってきます。その事務所の方の編集作業も、年度末までの締め切りの仕事が佳境に入っていて、とにかく内も外もヒートアップの状態です。そんな事情で、事務所開設以来はじめてブレーカーが落ちてしまったほどです。
(七)

棚卸し風景

お国の違い

 取材のため先週の日曜日に秋田県北部にある鹿角市と、秋田県との県境にある青森県岩崎村に行ってきました。偶然のことですがこの二つの町は、秋田県との関係を変えたいと願っている所です。鹿角地方はもともとは盛岡藩でしたが、明治政府によってムリムリ秋田県に組み込まれた地域で、今でも岩手県に対して親近感が強く、買い物や遊びも盛岡に行っているようです。県庁所在地の秋田市までは車で2時間半以上かかりますが、実際の距離だけでなく精神的にも秋田に対しては距離を感じているようです。また、青森県の岩崎村は鹿角市のような歴史上の動きはありませんが、中学生の7割が秋田県能代市の高校に進学していますし、買い物、病院などほとんど能代市に出てきます。鹿角市議会では秋田県が鹿角に対して冷たすぎるという理由で、岩手県に編入してしまいたいと発言が出ますし、岩崎村に至っては本格的に能代市との合併を模索しているようです。
 このようないきさつがあるためか、無明舎では鹿角地方の本を作る機会があまりなく、取材に訪れることも多くありません。今回、久し振りに取材で行ったのですが鹿角の雰囲気はやはり秋田らしくなく、ああここは南部なんだなあとしみじみと感じました。食べ物、町の雰囲気、ことば、苗字など微妙に違いがありますが、この違和感はどこか心地よく感じる違いです。特に「けいらん」とか「寒干し大根」などは南部特有の食べ物で、秋田では見ることが出来ません。このような秋田との違いをもっと感じたく、鹿角の歴史や民俗の本を作ってみたいと考えています。今年は鹿角に行く回数が多くなる予感がしますね。
(鐙)

花輪の市

おみやげで買ってきた寒干し大根

上野公園にて

 東京へ行くたび上野公園を散歩するようになった。あの雑然とした感じが心地よい。「雑然」といっても具体性にかけるが、ハイカラな美術館や博物館とホームレスが同居し、公園内のミニ遊園地の隣におでんにコップ酒の屋台があり、美しい池の周りにはかなり獰猛なカラスたちが我が物顔で猫とけんかをしている。公園を少し外れると池の端の商店街がある。ここには美味しいおそば屋さんや有名な居酒屋もあり昼も夜もお店探しに悩むことがない。芸大周辺の美術館めぐりだけでも1日がつぶれる。アメ横を冷やかしたり、古書店、甘味や、映画館も多いので暇を持て余すことがない。半日もあれば上野公園の周辺でかなり満足度の高いリフレッシュができてしまうのである。この発見は嬉しい。体調がいいときは宿のある御茶ノ水まで歩いて帰ってきたこともある(東京ではほとんど歩く癖がついている)。ここしばらくは上野公園がよいが続きそうだ。
(あ)

今週の花

 今週、事務所を飾る花は桃、菜の花、エリンジウム、レースフラワー、ガーベラです。
 エリンジウムは紫色の丸い花で別名はマツカサアザミと言います。ただし、アザミはキク科ですがエリンジウムはセリ科の植物です。似ている点は花が丸いことと葉っぱがトゲトゲしていてさわると痛いこと、それと花の色が紫系ということくらいでしょうか。実家の玄関にはエリンジウムのドライフラワーが束になってぶら下がっていましたが、生花を見るのは初めて。でも、生花でもドライフラワーでも見かけにたいした違いはないので、少しだけガッカリしました。
(富)

No.76

ぼろぼろ三銃士(実業之日本社)
永倉萬治・有子

 永倉萬治は大好きな作家だった。八九年に脳溢血で倒れたときは驚いたが、〇〇年五月に急逝したのもショックだった。私と同じ年だからだ。彼の作品はほとんど読んでいる。が、脳溢血で倒れてからは何か痛々しい感じが先に立ち題名をみてから読むようにしていた。これは私と同年代であるという意識からくるものかもしれない。倒れて後遺症と闘いながら一〇年で二〇作以上の作品を発表しているのだからすごい。本書は正真正銘の「絶筆」で、途中までの作品を書き継ぎ、完成させたのは有子未亡人である。生前も永倉作品のほとんどに朱を入れていたと言うから、注意深く読んだつもりだが、どこから夫人が書き継いだものか全く解らなかった(奥付に何ページ目から夫人が書いたものである旨の断りがある)。先入観があるからかもしれないが、物語が拡散しすぎて後半、それを一挙に大団円にまとめあげてしまう「薄さ」を感じたのも確か。たぶん永倉であればこんなに物語は拡散しないはずだ。

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