Vol.821 16年8月27日 週刊あんばい一本勝負 No.813


ヒマなので毎日スクワットしています

8月20日 変な夢を見た。何かの犯罪を犯したのだが裁判所に出頭せず(いろんな事情で理由も夢の中では観た)、関係者が大騒ぎになる。さすがにこれは問題なので悩んでしまう。裁判所や弁護士が出てくる夢というのは初めてかも。目覚めが悪い。どうしてこんな夢を見たのかフロイト風に考えてみた。思いつくのは一つ。昨日の川歩きで初めて履いた渓流シューズで両足指にクツ擦れ。ペロリと皮がむけ10円玉ほどの地肌が3個もできた。猛烈に痛むのを絆創膏でごまかしている。歩くだけで痛いから寝ていても時々目が覚めた。この痛みが生み出した夢ではないのだろうか。もうフロイトは「死語」でしょうと言われそうだが、これが要因としか思えない。 昨日、『苗村一族の千年史』という本ができてきた。

8月21日 日曜日なのに山行はなし。靴づれ痕がまだ痛い。外に出たいが足は痛いし暑さが堪える。2週間後の9月4日に鳥海山登山がある。それまでに足の強化をしたい。でも暑さに気持ちがめげてしまう。昨日から室内でできるスクワットをやることにした。1日目は30回を朝昼夜3セット。今日は5セット。2週間後には100回を日に3セット、というのが目標だが無理かなあ。2千メートル峰に登るためには少なくてもスクワット100回できる脚力が必要、という記述を見たような気がする。でも現実的には鳥海山はそれでは無理。8合目あたりで足がつってしまう。2週間後が楽しみだ。

8月22日 今週から家の外壁塗装と事務所の外壁改修工事がはじまる。2週間以上かかる大工事だ。毎年どこかしらをちょこちょこ直している。今年は家と事務所両方が同時。一所懸命本を売り、週末休まず、汗水たらして稼いだ金が瞬時に消えていく。若いころから借り物でない自分の城(仕事場)を持つのが夢だった。何かとやりくりして自前の事務所を建てた時の喜びは今も鮮明に覚えている。外で酒を呑むと事務所に寄ってからでないと帰宅しない。酔って仕事場の冷たい床に大の字になると幸せな気分に浸れた。それから40年の歳月が過ぎた。建物は外も内もボロボロになったが、愛着は変わらない。

8月23日 お昼はリンゴと自家製寒天というのが何年も続いているランチだ。お盆前後は夏バテ気味で食欲が落ちた。食欲をそそるソーメン・ランチに時期限定で変更。ソーメンを茹で、ショウガをおろし、ネギを刻む。汁は「創味」。この調味料のおかげでソーメンが好きになった。市販のツユだが、その辺の蕎麦屋さんよりずっとうまい汁だ。ソーメンの銘柄は定番の「揖保乃糸」。そんなわけで毎昼、自宅に帰りソーメンを食べる。暑さもどうやら一段落、一挙にソーメン愛は霧散した。

8月24日 台風被害は思ったほどではなかった。朝夕は確実に秋の気配。朝は気温20度、今日の最高気温は33度、この温度差は秋だ。2日前、突然、北海道新聞からむのたけじさんの追悼文依頼。この1両日、その原稿を書くために四苦八苦。故人との思い出はいろいろあるが、全国に熱烈なファンの多い有名人なので、どこまで書いていいのやら。月末は秋のDMのための通信原稿もある。外にパーッと呑みに出て大騒ぎしてスッキリしたいのだが、いざとなると面倒くさくなり仕事のほうを選ぶのは目に見えている。外に出ない分スクワットは続いている。40回3セットが1日のノルマとして定着しつつある。

8月25日 秋のDM編集作業が佳境。年4回季節の変わり目ごとに愛読者の方々に新刊案内や私の日記やコラムを編みこんだミニコミを発送する。印刷費や郵送代もけっこうな額だが、読者と直接つながる大切な宣伝ツールだ。このDM通信がもう40号(正確には39号だが)になる。ということは10年目を迎えたということ。この通信の前にも不定期で愛読者通信のようなものを出していたから出版をはじめて40年余、常に何かしらの形で手作りミニコミをつくり頼まれもしないのに「発信」を続けてきたわけだ。いや、自慢したいわけではない。けっきょく「小さなメディア」をつくって他者に読んでいただくのが無性に好きなのだ。でもだんだん疲れてきた。「マンネリ」という言葉が嫌いではないから、どうにか続いているというのが現状だ。

8月26日 北海総新聞から依頼されたむのたけじさんの追悼文を書いているとき、むのさんが「黒岩比佐子って、いいね」とその昔言っていたことを思い出した。突然、黒岩さんの本が読みたくなった。アマゾンで古本の『伝書鳩』(文春新書)を買った。頁をくくったらいきなり扉に達筆な自筆サインがあった。献呈名は書いていない。エッと思ったのだが便箋が挟まれていた。黒岩さんがこの本を寄贈した相手への丁寧な手紙だった。この本を黒岩さんから寄贈された方は読んだ形跡がないし興味もないので古本屋さんに右から左に売っっぱらったものだろう。名前から判断するにお坊さんらしき人物。まあそれはどうでもいい。黒岩さんは若くして亡くなっている。その才能を惜しまれての死だ。なんだかすごく得した気分と不快な感情(この男に対して)が入り混じった気分になった。本も読んでいないのに変な言い方だが、黒岩さんが今も健在なら、たぶん日本のノンフィクションの世界もずいぶん違うものになっていたのではないだろうか。
(あ)

No.813

菅江真澄
(未来社)
宮本常一

 宮本常一の本は読みやすい。著作の多くが口語体で講演記録から文字おこしをしているケースが多いからだろう。講談を聞いているような心地いい気持にもなってくる。解説も丁寧で易しくてわかりやすい。そのためスラスラ理解できたような気になるのだが、ホントなの、と首をかしげることも少なくない。わかりやすいということは「危険」(断定や思い込み)と隣り合わせだ。本書は、内田武志の菅江真澄の「遊覧記」5冊や、その後の「全集」発刊を記念して企画された講演(勉強)会記録のようである。内田と宮本の出会いは昭和16年、渋沢栄一を介して実現している。渋沢の強いすすめで内田は病床で真澄研究に打ち込みだしたのだ。その内田の研究成果をテキストにしながら、宮本は「旅」をキーワードに真澄の足跡を時系列に追い解読を試みる。随所で真澄から離れ、寄り道をするのも宮本の得意技だ。凶作の話から新田開発と炭泥の話になり、それが秋田平野(横手盆地)の塩田や最上といった大地主の話にかわる。真澄の着ていた羽織は、いつの間にか落語家の羽織の話になり、火事場泥棒という言葉の本当の意味に飛ぶ。「たらふく」という言葉は凶作の少なかった男鹿半島で鱈の身をご飯のようにグシャグシャニして食べたことから出てきた言葉、というのは初耳だし、「嫁」というのは「ゆいめ」が語源で、一種の交換労働を意味する言葉だそうだ。

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