Vol.823 16年9月10日 週刊あんばい一本勝負 No.815


スクワットは中止することにした

9月3日 いつの間にか9月。月末には10日間ぐらい外国旅行で留守になる。そのため前半部にしわ寄せがくる。広告や原稿や約束がみんな前倒しになってしまった。その準備はしてきたのだが、やっぱり何かと慌ただしい。昨夜、ある作家の脳梗塞の顛末を書いた本を読んだ。億という年収があり、専門のトレーナーをつけるほど体調管理に気を遣い、シェープアップした身体に高価なスーツをまとい、何人ものスタッフを使って仕事をしている。50代の作家だ。主にネットで活躍しているのでマス・メディアなどへの露出は少ない。最近名前を聞かないなあと思って検索したら入院闘病中で、その闘病日記が本になっていた。まるで健康で何の問題もなかった人が一瞬で廃人のようになる恐怖が痛いほど伝わってきた。

9月4日 鳥海山登山。ずっとこの日に備えて体力強化。スクワットに散歩だけだが、外に飲みに出かけたり、暴飲暴食は極力控えて体力温存に努めてきた。裏を返せばそれほど今年の夏は体力が下降線で山登りが楽しいと思えなかった。山に行くたびに青息吐息で、途中でやめたくなる回数のほうが多かった。でも鳥海山はそんな泣き言などいっていられない。自分の領域では最も難易度の高い山。自分では準備万端のつもりで登り始めたのだが7合目七ツ釜避難小屋であえなくギブアップ。淋しくひとり山を下りた。敗因は予想以上の暑さと15キロをゆうに超えたリュック。寝不足もあったが、これはいつものことで理由にならない。とにかく暑さに弱い。水を大量に飲む。その分リュックは重くなる。でも今回は悔しさとか無念さはツユほどもない。「夏はこれで終わり」という妙にサバサバした気分。次はしばらく休んで秋の山行。それまでじっくり基礎体力をつけよう。自分のウイークポイントがはっきりしたので次の目標が見えた。生活のリズムを崩さないように一歩ずつ体力強化の階段を上っていこう。

9月5日 30度を超える日々が続く。今週後半、東京出張がある。東京は秋田以上に暑いんだろうか。同じころにはDM通信も読者のもとに届く。「秋」DMはほかの四季と違いダントツに本が売れるのだが、こんなに暑ければ、そう楽観できないのかも。外装工事は進捗なし。1日仕事をすれば3日雨。2日うまく仕事が続けば週末がきて、おまけに台風予想で中止になる。肉体労働は天気次第だ。今週中には家の塗装工事が終了し、足場を事務所に移し替えて本格的な外壁工事が9月いっぱい続く。

9月6日 いま一番の心配事は「体力が落ちていること」。先日の鳥海山は身体がまるで言うことを聞いてくれなかった。散歩やスクワットではダメなのだろうか。暑さに弱いこと、リュックが重すぎたこと。それ以外に、この夏はクーラーの部屋から出ないでデスクワーク三昧だった。これも理由としては「あり」のような気がしてきた。体力低下の犯人はクーラーかも。今日からはスクワットの方法も変えることに。40回3セットなどとえばっているが、沈み込んで立ち上がるまでの動作は2拍子。反動でやっているだけだ。これを4拍子にして膝も伸ばさず曲げたまま腰を落とすことに。これはかなりの負荷で20回もやるとヘトヘト。4拍子で20回3セットで当分やってみることにした。

9月7日 今日から3泊の出張。スクワットの影響か少し腰が痛い。体重も上昇気配なので要注意。3晩のうち2晩は宴席。断固暴飲暴食を慎むべし。それと冷房で体調を崩すのが怖い。わずか3泊なのに荷物は昔の倍以上だ。キャリーバックを引きづって歩き回るのは苦痛だし、ブレザーや寝間着、パソコンまで詰め込んでの大移動だ。こんな大げさな旅支度をしなければ遠出でできない。情けないが、そんなわが身をじっくり見つめなおしてくるつもりだ。

9月8日 酒田駅前の「ホテルイン」しか取れなかった。行ってみると昔の東急インではないか。老朽化が激しくビジネスホテル以下の値段で泊まれるようになっていた。「ル・ポット・フー」のあるホテルだ。朝ごはん(ホテル代込み)は美味しかった。つや姫も塩納豆もしょうゆのみもダシ(漬物)も。ホテルで朝ご飯を食べるのは酒田に来た時だけ。一般人の味覚レベルが他の地域より高いのだろう。郷土の食べ物なんて地元の人が自慢するほどよそ者は美味しいなんて思っていない。でも酒田は違う。昨日は図書館で調べ物をした後、友人と食事。食事の場所は市役所横の旅館の食堂部。魚がうまいところとして知る人ぞ知る穴場だ。

9月9日 東京は雨。そんなに暑くなくて助かった。昨日は山形新幹線で移動したのだが、車内放送で秋田新幹線が大雨で不通のアナウンス。危機一髪。夜は「ローカルメディアの会」に出て刺激を受けてきた。若い人たちと接触する機会を意識して持たなければ、老化と硬直化は進行する。懇親会で気が付いたのだが、誰一人日本酒を飲んでいる人がいなかった。秋田では同年代の人と飲む機会が多いせいか、日本酒が宴席から消えることはない。もう若い人たちの酒の選択肢に日本酒は最初からないみたいだ。昨日から突然、右ひざが痛み始めたので急きょスクワットは中止。
(あ)

No.815

犬たちの明治維新
(草思社)
仁科邦男

 文明開化の時代、明治憲法で「畜犬規則」(飼い主不明の犬は撲殺)が施行され、個人で犬を飼う習慣が日本人の間に根付いた。それ以前、日本にいた犬のほとんどは「里犬」といわれる町や村単位で養われていた所有者のいない「地域犬」だ。彼らの主な仕事はコミュニティに侵入してきた不審な人物に吠えること。子供の遊び相手になること。この2つだ。人間と同じように日本の犬たちにも開国があり、幕末があり、明治維新があり、文明開化があった。人の歴史の中に埋没した犬の激動の歴史を、丁寧に古文書や資料を探し当てた労作だ。サブタイトルに「ポチの誕生」とある。紙枚が最も多くさかれているのはあの上野の西郷さんの連れている犬に関する考察だ。微に入り細に入り、西郷と犬の関係を資料から探し出している。幕末に犬を呼ぶ言葉として定着した「カメ」については、来日した外国人たちが犬を呼ぶとき「カム・ミ―」(来なさい)ということから「犬は英語でカメ」と日本人が勝手に思い込んだのが起源という。そして明治19年、文部省が編集した新しい国語教科書には初めて犬が「ポチ」という名前で登場する。このポチの名前の由来は今もって特定できない。「日本国語大辞典」ではポチの語源について「英語のスポッテイ(ぶち犬)・米語でポッチー(犬の意)・フランス語でペティ(小さい)」と諸説を紹介している。著者はいろんな外的要因から割り出して「フランス語のペティ説」をとっている。

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