Vol.834 16年12月3日 週刊あんばい一本勝負 No.826


12月に突入してしまいました

11月26日 若手の出版経営者が新聞でなかなかいいことを言っていた。自分の考え方に近く、共感する部分があった。以前、彼の主張をまとめた本も買っていたが、このときは書名も装丁も気に食わず、読む気にならなかった。その本を引っ張り出して読んでみたのだが、最初の悪印象は正しかった。締まりのない焦点のぼやけた出版論で読むに堪えない。新聞記事の歯切れの良さ、シンプルでコンパクトな要旨は、記者の力だったのだろうか。一挙にこの人物に興味を失ってしまった。いい本を出している版元なのだが、こちらの印象が正しければ、そう長くは続かないかも。

11月27日 23日は男鹿の町中を散策してきた。今日は市内の中央公園を散歩。空港脇の森はひたすら静かで快適な散策コースだった。公園中心部のコンクリート上にクマの糞があった。けっこう危ないエリアなのかもしれないが、雨にもたたられず、もやに煙る晩秋の森を堪能してきた。山行ではなく「散策」なのには理由がある。山のリーダーであるSシェフがひざを痛め、リハビリ中だ。そのリハビリに付き合って散策が増えているのである。昨夜はシャチョー室宴会だった。なんとなくギョウザが食べたかったので、Sシェフから作り方を教えてもらい、いやになるほど食べて大満足。

11月28日 「パッとしない日々」が続いている。「パッとする日々」はけっこう気疲れしてストレスをためるから、パッとしない日常のほうが自分にはあっているのかもしれない。今年最後のDM発送準備が終わった。あとは印刷して読者のもとに届けるだけ。改修工事の支払いも済んで懐はいっきょに寂しくなった。なのに身体のぜい肉は増えるばかり。新刊はないし客注は閑古鳥。パッとしない。こんな日々を40年以上続けてきた。「やる気」は年々衰えていく。やりたいことは山ほどあっても即実行といかない。そのうち機会を見てと逡巡しているうちあっという間に1年が過ぎていく。やり残したことだけが強く心身に刻み込まれ「傷」になって残ってしまう。パッとしない日々だ。

11月29日 山中の標示板に「槿花一朝」の文字。仲間に意味を訊かれ、わからない。槿花は1日でしぼむ「むくげ」のこと。秋田市郊外に「保食神社」という神社がある。由来も読み方もわからない。調べてみると出雲神社の分魂で、保食は「うけもち」とも読み農業の神様。便宜上「ほしょく」と読んでいるようだ。そのそばには「勝手神社」というのもあり、これは吉野川水系の水神様。もともとは「かつて」と、促音でない読み方のようで、入り口や下手を意味する言葉だ。千葉の友人と秋田のクマの話をしていたら「路上でキョンと出くわした」と言われポカ〜ン。キョンって何? シカよりも小さいホエジカと言われる外来生物で、千葉ではものすごい勢いで繁殖しているらしい。これも観たことも聞いたこともない。世の中知らないことだらけ。  

11月30日 読みたい本や見たい映画がない。こちらの趣味嗜好が膠着化しているせいだろうか。こんな時は常備してある南木佳士の本やウディ・アレンのDVDを観る。南木の本もアレンの映画も何度でも繰り返し楽しめる。性に合っているのだろう。両者の共通項を探してみたが、わからない。アレンは毎年一作、きらりと光る映画をつくり続けている。最近はホームグランドのニューヨークを離れヨーロッパを舞台に「恋と不倫」をテーマに秀作を発表し続けている。南木の作品は静かで寡黙で控えめだ。いつも同じ身辺雑記を淡々と気負いなく書く。何度も読んでいると微妙な差異や仕掛けが行間に隠されているのを発見する。それを見つけるのが楽しみだ。いずれにしても読んだり観たりしたことの半分以上をすでに忘れている。何度読んでも新鮮なのは、年をとったからかもしれない。

12月1日 もう12月。まいったね。11月は新刊ゼロ。飲み会や打ち合わせだけが多く、体重は減らず、県外出張なし。事務所に閉じこもってあれこれ思い悩む時間が増えた。2か月かかった改修工事も終わり、気持ちが大きくなり、無計画な出費(増刷や広告)も。それも落ち込んだ理由の一つだが、今月も引き続きいろいろ予定がある。忘年会は4,5回。ここを穏便に通り過ぎることがポイントだ。来春刊行予定の本は6,7点。できればこの秋に分散して出しておきたかったが計画通りには事は進まない。本をめぐる環境はますます厳しくなっている。関係者のなかから「退場」を宣告されるようなところも出てくるだろう。こちとら老骨にムチ打って、もうひと踏ん張り。師走という言葉は年々リアルな響きを持ってくる。

12月2日 昨夜はすごい風。陋屋なのでいつ屋根が吹き飛ばされないか、毎度のことながら不安で眠られない。この地(広面)に引っ越してきた当初、周辺は巨大な病院以外には建物はまばら、ふきさらしの田んぼが広がるばかり。吹き荒れる風もいまより数倍、傲慢で傍若無人、人間や人工物の優先順位はかなり下だった時代だ。そのころの医学生はよく広面で迷子や凍死騒動を起こした。下宿で酒を呑んだ勢いで吹雪の夜に外に飛び出す。外に出たものの視界はきかず、雪で道も埋もれ、けっきょく下宿に戻れなくなり、雪の中で寝てしまう。駅や繁華街にたどり着くには数時間雪中ラッセルをしなければならなかった。信じられないかもしれないが、雪の中の迷子も遭難も70年代には実際によくあった「事故」である。南木佳士の小説『海へ』でも当時の広面地区で同級生が酒に酔って凍死寸前までいく事件が淡々とつづられている。いまになっては考えられないことだが、不安をあおる猛烈な吹雪の声を聴くと過去の日々のことを思い出される。
(あ)

No.826

秋田県の遊郭跡を歩く
(カストリ出版)
小松和彦/文・渡辺豪/写真

 自分が大学生になるまで生まれ育った場所が、その昔「遊郭」と呼ばれた地域であることを、この本で知った。少年のころはできるだけ自分の出自を深く考えることはなかったが、薄々はそんな感じは子供心にも気がついてはいたのだが…。自宅周辺には料亭や薄汚い小料理屋、元芸者さんたちの住む小さな家やバラックが蝟集していた。夜は酔っ払いたちが徘徊し、よく家の前で小便をしていた。5人家族だったが10部屋以上ある大きな家で、半分は飲食業に貸し、残る半分に家族が暮らしていた。この家自体が父親の兄の所有物だったので借家だから又貸しというやつだ。ある時、使っていない部屋に女子高生を下宿させる話が持ち上がったが、学校側から「場所が場所だから許可できない」と下宿案は立ち消えになった。生家はもう解体され更地になっているが周辺にはあいもかわらず古びた料亭が数件残っている。本書は秋田県の遊郭跡を訪ねたルポである。出版社として採算がとれるのか(売れないから)心配だが、どうしても記録に残しておきたいという「執念」のようなものが行間から立ち上がってくる本だ。読者は少ないかもしれないが、誰かがやらなければならない仕事なのだおる。出版元は東京吉原で「遊郭」の書籍を専門に扱う書店。ここの店主がカメラマンも務めている。吉原という地名を書店名に関しているのにも驚きだ。造本にも内容にもいろんな欠点はあるが、まずはこの情熱を買いたい。

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