Vol.835 16年12月10日 週刊あんばい一本勝負 No.827


湯豆腐は木綿でしょう

12月3日 車の調子が悪いと女性にブレーキを踏んでもらい、その女性の足裏をなめた、という変態男が逮捕された。そのテレビニュースを見て笑ってしまった。でもブレーキを踏んだ足裏をどうやってなめたのだろう。変態ネタはどことなくユーモラスで犯罪であることを忘れてしまう。このニュースで別の事件のことを思い出した。去年、兵庫県で道路脇の側溝の中に身を潜め、女性のスカートを下から覗いていた28歳の男が逮捕された。犯人が残した名言がネット上で話題になった。この男、「生まれ変わったら〈道〉になりたい」と言ったのだ。「自分の短所は側溝に入ってしまうこと」とも付け加えた。ちょっとできすぎたコメントで、ほとんどウディ・アレンだ。この記事を読んだとき笑いが止まらなかった。この男、誰かに暴力をふるったり被害を与えたわけではない。露出狂でもないし女性に直接手を出したわけでもない。変態道の心技体を見事体現している、と評した人までいた。この世界には魅力的な人物が多数隠れているのかもしれない。

12月4日 久しぶりの山歩きは二ツ井町の七座山。1時間半ほどで山頂に着けるコースで、巨岩と杉の大木群が見ごたえある。昼頃には下山。その足で鷹巣町の史跡「伊勢堂岱遺跡」へ。縄文後期の環状列石が4つも出土した遺跡だ。大館能代空港のアクセス道路建設の際に発見されたもので、その当時ノコノコと発掘現場をひとりで見学に行ったのを覚えている。その現場もいまは埋め戻され立ち入り禁止、横にりっぱな資料館『縄文館』がオープンしていた。20分の紹介ビデオもわかりやすくて退屈しない。館内のレイアウトもシンプルで好感が持てた。資料解説が少ないのに物足らなさを感じたが、突飛な解釈をされるよりはいい。縄文時代は今よりも雪が少ない時期も多くイノシシがいた、という事実は知らなかった。

12月5日 このところずっとヒマなので夜の散歩が終わるともっぱら映画タイム。ウディ・アレンの旧作を観返している。ディテールは半分以上忘れているから結構楽しめる。年をとると得だなあ。DVDの後は読書。いま夢中なのは池澤夏樹個人編集の「日本文学全集」の「枕草子」だ。訳者が酒井順子という人選に驚いた。同じ本に入っている「方丈記」は高橋源一郎訳だし、「徒然草」に至っては内田樹だ。しばらくはこの本1冊でたっぷり楽しめそうだ。面白い本や映画がそばにあるとそれだけで幸せな気分になる。

12月6日 そろそろ10大ニュースを決定する時期だ。1年間の個人重大事件を列挙して手帳に書いておく。1年を振り返るには一番わかりやすく反省と励みにもなる。毎日こまめに食事メニューを中心にメモをつけているので難しい作業ではない。難しくはないのだが記録に残らない変化というのがやっかいだ。例えば今年は去年に比べて明らかに酒量が減っている。これは記録には残っていない。個人的な感覚が頼りになる。山行も回数は簡単にわかるが、難易度から行けば去年のように難しい山にほとんど行っていない。これも数字的な山行記録にはあらわれない。高い山に登れなくなり酒量も落ちている。「年をとった」ということだ。それ以外に理由はない。

12月7日 一人で夕食のときは湯豆腐だ。湯豆腐を好きになったのは最近のこと。ツユに市販の「創味」を生のままで使い、たっぷりのショウガとネギ。豆腐はもちろん木綿。最初のころは豆腐の種類の多さに戸惑い「絹」や「汲み上げ」「よせ」や「ざる」の意味が分からない。どのように豆腐が作られるかを調べてからは木綿だけになった。豆乳を水で薄めず、にがりを水で洗い流すまでの行程を手抜きせずに作るのが木綿。これが基本で手数も一番かかっている。絹は水で薄め、圧もかけず脱水もしない。水分が多く滑らかなことから絹とよばれる。この2つ以外はすべてにがりを入れた時点で簡単に作ってしまう簡易豆腐と考えていい。ちなみに「よせ」というのは豆乳ににがりを入れる行為を指す業界用語。好き嫌いがあるから他人のことはどうこう言えないが、やっぱり豆腐は木綿でしょう。

12月8日 昨日は健康診断ドック。午前中で終わったがグッタリ疲れてしまった。血圧は127の77。体重が予想通り2.5キロ増。医者からも「体重が増えてますね」ときつい一発。これですっかり落ち込んだ。痩せている人にはわからないだろうが、デブは体重増加と病歴が比例する。太るとたちどころにいろんな部位の数値があがる。そのことを痛いほど知っているから、わずかな増減にも敏感に反応してしまう。血圧はというのも微妙だ。ドック入り直前に測るときまって140台。落ち着いてからもう1回測りましょ、と看護師さんに言われ、深呼吸して2回目に測ると120台まで落ちている。結果も心配だが血圧の数値だけで、今のところ少しホッとしている。

12月9日 読者の方からある資料コピーをいただいた。九州・大分県の大分市民図書館や別府市、宇佐市の図書館に所蔵されている無明舎出版のブックリストである。どの図書館にも10冊以上の小舎本が所蔵されている。なんとも不思議な気分になった。九州でもうちの本が読まれていることは掛け値なしにうれしい。うれしいのだが、本をつくっているとき九州の人も読んでくれている、などという不遜な思いはまったくない。想定外の人たちの目にとまったことへの意外性に戸惑ってしまったのだ。秋田の片田舎の版元の本が大分県の図書館の片隅で静かに読者を待っている。こんなことを想像するだけで心にポッと灯がともる。落ち込んだ時、自分の作った本が九州でも書架の中で身体を張ってうちの存在を誇示してくれている、と思うと本づくりの大きな励みになる。ちなみにこの大分県のブックリストを送ってくれた読者は札幌在住の方である。
(あ)

No.827

お言葉ですが…
(文春文庫)
高島俊男

 ナイター中継を見るのが好きなのだが、地元球団を持たない田舎の悲しさで、巨人しか放映されない。その日テレ系の解説者(桑田・吉村・堀内など)の解説はほとんど聞くに堪えないので消音状態でテレビを観ることもある。特に桑田はひどい。選手の名前を「君」付けで呼ぶ。その傲慢な響き、少年野球に問題をなんでも収れんさせてしまう説教臭い道徳観。解説者として三流以下だ。本書にもそのスポーツ選手の「君付け」の傲慢さについて書いていた。わが意を得たり。戦前から日本では役者と文士と相撲取りと野球選手は「呼び捨てにしても失礼ではない」とされていたそうだ。もう一つ、長野県を「信濃」という。なぜだろう? シナというのは階段状のことを意味する古語。階、段、等、科,級、品はすべて「しな」と読む。長野は階段状の地形が多いから「しなのくに」だ。なるほど納得。元号についても一刀両断。わが国でこれまで用いられた元号は247。その根拠をすべて中国の典籍に仰いできた。これは日本人に染み付いた華夷思想によるものだ。よその国の書物に語を借りて年号をつくるのをもうやめようではないか、と著者は訴える。今年は文庫になっている高島本をユーズドでまとめ買い、ずっと読んでいたい。

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