Vol.836 16年12月17日 週刊あんばい一本勝負 No.828


雪に傘をささないのはなぜ?

12月10日 雨の中、秋田城跡歴史資料館へ。調べてみたいことがあったのだが答えは見つからなかった。それはいいのだが、先日の伊勢堂岱遺跡もしかり、縄文から奈良・平安の時代まで、秋田にはシカもイノシシもしっかり存在していた。骨が出ているのだからこれは疑いようがない。雪の中をよく生きていけたものだと思うが、縄文時代は今より雪が少なかった時代もあったのだそうだ。初めて入った秋田城跡資料館では展示解説文を丁寧に読んだ。おかげでパネルに「誤植」を発見した。入館者は私ひとりでガイドの若い女性がつきっきり。おせっかいとは思ったが誤植を指摘すると彼女は一瞬絶句。すぐ気を取り直し「訂正します」と事務室に消えていった。資料館に入ってじっくりパネルの解説文章を読むなんて普通はない。こんなところで職業的習性を発揮してもしょうがないのだが、まあ習い性ということで許してほしい。

12月11日 今日は市内の太平山前岳。昨夜から降り続いた雪で山全体が真っ白で、いよいよ冬山シーズンの到来。スパイク長靴にスキー帽が山の正装になる。木々にまとった雪化粧は今の時期にしか味わえない美しさに輝いていた。2時間20分で前岳山頂へ。下山はフカフカの雪道をスキップしながら降りてきた。登山口でランチ。近くの温泉で「ぬぐだまり」帰ってきた。昨夜も遅くまで忘年会。今夜もモモヒキーズ活動納めの納会が待っている。それまで3時間ほど時間がある。一眠りしてから出かけよう。

12月12日 「雪国の人たちはなぜ雪に傘をささないのか?」というテーマについて調べ始めた。「アンブレラ――傘の文化史」(八坂書房)という専門書にまで手を出すようになり深みにはまりそうだ。雪国の人が傘をささない理由は簡単だ。危険だからだ。視界が悪くなるし、足元の凍結地面にも気を遣う必要がある。手はフリーにしておきたいし、雪質も「みぞれ」ではないかぎり濡れるような湿気を含んでいない。雪は上からばかりではなく横からふきこんでくる。強風で傘は飛ばされてしまう。安全面でもかなりの問題があるのだ。そうしたことから傘をささないのだが、傘そのものの歴史や文化的意味を突き詰めていくと別の視点からの異論も出てくる。

12月13日 大分の所蔵図書の話を書いたら、読者から「大分県立図書館に無明舎の本は138冊所蔵されています」と連絡いただいた。他の九州の県立図書館も同じくらい所蔵していて、今はネットで数はすぐに判明するのだそうだ。ありがとうございます。ところで、このところ雨や雪まじりの天候不順で散歩なし、事務所DVDの日々。朝から真夜中まで食事を除いて仕事場にいる。正気の沙汰と思えないという人もいるだろうが、事務所でひとりネチネチ、ダラダラ、ボーっとしているのが苦ではない。こんな生活を40年以上繰りかえして飽きない。行動派ではなく研究室派なのである。でも散歩に出られないのだけはちょっと問題。事務所に自転車やウォーキングのマシンを導入すれば外に出かけなくても済むが、それをやると本当にまったく外に出ない刑務所生活になるのが目に見えているから自重している。困ったものだ。 

12月14日 今年の外食(海外は除く)ナンバー1は「神田やぶそば」。昔はよく行ったがこの10年近づくことすらなかった。「有名店はダメ」という思い込みも偏見。何の気なしにふらりと一人で入り大満足。勘定は1万円を超えていたが充足感のほうが勝った。その時の勘定書きは今も記念に手帳にはりつけてある。秋田には蕎麦屋さんがほとんどない。観光地はともかく県都にまともな蕎麦屋さんがない。代用と言っては悪いが秋ノ宮にある「神室そば」でなんとか不満を解消している。この宅配蕎麦は店舗なし、手打ちでツユ付き、即日配達で月に1,2回は取り寄せる。

12月15日 「マネー・ショート」(原題はTHE BIG SHORT)というハリウッド映画を二度見してしまった。あのサブプライム・ローンの舞台裏を描いたもので難解な経済・金融の専門用語と、4組の主役たちが目まぐるしく入れ替わる設定で、一回見ただけでは意味が分からない。二回目でようやく台詞の背後まで理解できるようになり、なるほどリーマン・ブラザーズの崩壊というのはこういうことだったのかと納得。それにしても同じ映画を二度見ても退屈しなかったのはハリウッド映画の底力を見た思い。「真実は詩ににている。ほとんどの人が嫌っている」というのは名言だ。実は昨夜もハリウッド映画「ラスト・ベガス」を観た。デ・ニーロにM・フリーマン、M・ダグラスにK・クラインのスター競演で、この4人が70歳になりラスベガスでバカをやらかす老人たちの物語だ。

12月16日 今年一番の雪。いよいよやってきたなあ、という畏怖の感情が60歳を超えた今もある。嫌いでも好きでもなく「畏怖」というのが正直な雪への印象だ。江戸時代、雪や雨のさいに傘をさせるのは大肝煎以上と藩則で定めている国が多かった。村の一番偉い人が肝煎で、それら複数の村々の肝煎を束ねるのが大肝煎。傘はこの人しかもてなかった。雪国の人は雪に傘をささない、というのは便宜上だけではなく、背後にこうした歴史的な身分制度もあったから、というのは小生の推論だ。傘は身分を著す重要な小道具だ。日本映画『殿、利息でござる!』でも傘は小道具として大きな役割を持っていた。この映画は仙台藩で実際にあった話だそうだ。随所に庄内映画村がロケ現場になっている。時代劇にあそこのロケーションはもう欠かせないものになったようだ。
(あ)

No.828

読書と日本人
(岩波新書)
津野海太郎

 「日本人はいつから部屋でひとり本を読むようになったのか」をテーマにした読書論である。本書を読んで改めて気が付いたのだが、著者が言うようにこの国にはまとまった読書史というものがなかった。本書ははじめて通史として試みられた読書史エッセイとでもいえるもの。前半は著者自身が取材して分かった「日本人の読書小史」。「源氏物語」を読む少女の話から始まり、長い時間をかけて個人的な読書が確立されていく過程が、推測を交えながら丁寧に描かれている。後半は「二〇世紀読書論」。二〇世紀は「読書の黄金時代」だった。誰であれ本を読むというのは基本的にいいこと、という常識が定着した時代だ。こうした流れが二〇世紀終わりになって変容する。資本主義が強欲な金権主義をむき出しにする。そんな環境を自明のものとして「すぐに大量に売れる本がいい本」という風潮が市場に定着する。一番売れる本に読者が殺到し、他の本はまったく売れない極端な傾向が生じてくる。しかし、そうだからと言って読書の未来が暗いわけではない。まして本を読む日常が消えてなくなるわけではない。メディアやアートシーンの織り成す網の目の常に中心に座していた本が、いわば配置が換わり、ゆっくりと新しい生活のタイルに即したものとして醸成されていくはずだ、と著者は言う。

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