Vol.838 16年12月31日 週刊あんばい一本勝負 No.830


今年もお世話になりました。

12月24日 80年代後半に訪れたからもう四半世紀前だ。ひとりでクスコに降りたちマチュピチュを見てきた。いわく言い難い畏怖に打ちのめされた。もう少し予備知識を持っていくべきだったと猛反省した。マチュピチュはまた行きたい場所。インカ道をトレッキングしたいし、麓から山頂までバスを使わず自分の足で歩いて登りたい。マチュピチュは王の避寒地(別荘)だ。軍事的要塞でもあり、農と暦のための太陽観測所、農業試験場でもあり鉱山資源の宝庫。インカ帝国がスペイン人に簡単に征服されたのはなぜか? その謎を解くカギはインカの人たちの「ワカ」と呼ばれる異形信仰(私の造語です)といわれる。異形のものに聖なる力が宿るというインカ信仰だ。馬を自由にあやつるスペイン人を「ワカ」と勘違い、その油断が破滅につながった。これは昨今の研究でもっとも有力になった説。盗んだものを海から母国に積みだすためにスペイン人は海沿いに製造工場や人員を集中させた。そのため山奥の遺跡は400年間誰からも発見されることなく静かに眠り続けた。かっこいい。なんとしても行くぞ、待ってろよマチュピチュ。

12月25日 「靴納め」が終わったのに性懲りもなく友人と2人で雄和の高尾山へ。ボタ雪が降り始めたので登り口まで車が入れるか心配だったが、なんと大雪は広面地区だけだった。ほとんど山に雪はなく、気持ちいい今年の最後の山歩きを楽しむことができた。私の住む広面は市街地に比べて温度も1,2度低いし雪量もまるで違う。その昔、秋田市ではなく南秋田郡と言われた地域の面目躍如といったところ。さすがこの時期は山にひとっこ一人いない。雪を待つ暗く静かな杉林の中を黙々と歩いていると、ささくれだった心のなかが穏やかに澄み渡ってくる。

12月26日 ちょっとヘンなものにはまっている。日本映画「闇金ウシジマくん」シリーズを5本連続で見た。原作は漫画らしいのだが主演の山田孝之が素晴らしい。自分の住む世界とはまるで接点のない物語は大好きだ。自分の知らない世界を覗きたいという好奇心が表現に触れる原点だ。中山うりという歌手のCD「ケセラ」も毎日聴いている。明るいポップ系の音楽だが昭和レトロの陰影も濃い。聴いているとウキウキ、元気が出てくるから不思議だ。まだ若い女性でアコーディオンを弾きながら歌う歌手だ。それ以上のことは何も知らない。アルバムは自作自演のものばかりだが1曲だけ高田渡作曲の山之口獏作詞「生活の柄」が入っている。なるほど高田渡が好きな人なのか。

12月27日 今年も1年、友人のSシェフには一方ならぬお世話になった。山はもちろんだが料理でも実用的な知識や食材の扱い方(麩から蟹まで)をいろいろ教えていただいた。Sシェフ自家製の「ダイコンのビール漬け」は今年最高の美味しさで何度か追加おねだり。そんな恩人なので先日、返礼プレゼントをした。大きい声では言えないが他人からもらった餅。Sシェフは喜んでくれたが、その日の夜、「あの餅はいやがらせか。訴えてやる」と怒りの電話。餅は味噌を練り込んだもので、Sシェフは味噌が食べられない。口に入れたとたん喉が拒絶反応をおこし飲み込めなかったそうだ。いやはや申し訳ない。味噌嫌いは知っていたが、まさかあの餅に味噌が入っていたとは。やはりちゃんとしたものを贈るべきだった。でも訴えられたら裁判には応じるつもりだ。

12月28日 今年1年、歯医者通いが間断なく続いた。医者嫌いだが歯医者はT歯科医院を見つけてからはすぐに駆け込む。昨日も今年最後の治療。ちょっと前まで奥歯の具合が悪くて1か月半も通院したばかりだが今度は前歯だ。ぐらついて思い切ってものが齧れない。1時間ほどでぐらつきは収まり、痛みも止まった。これでお正月はちゃんと御節も餅も食える。今日から東京へ忘年会出張。帰ってきて3日間は家で正月休み。その後はタイに行く予定。

12月29日 年々出張が嫌になっていく。2つの忘年会をこなすために東京。年1回しか会えない人と会うのは楽しみだが、そのプロセスが問題だ。往復の新幹線、ホテルでの睡眠、電車の中……風邪をうつされる恐怖がいたるところに忍び込んでいる。新幹線は1車両に3人はゴホゴホのマスク姿が必ずいる。ホテルはカラカラに乾燥していて朝起きると喉がガラガラ。電車のなかはマスクなしでゴホゴホしている輩もいる。だから東京では四六時中マスクだ。新幹線ではひたすら寝て時間をやり過ごす。それがよほど精神的にきつかったのだろうか、隣の乗客に「貧乏ゆすり、やめてもらえますか」と注意を受けた。ホテルではしょっちゅう起きてうがい、風呂に湯を張ったり。それでも朝起きると喉はガラガラ。もうこんな生活は嫌ッ。

12月30日 東京は毎日青空で少し歩くと汗ばむほど。冬は凍えるほどの寒さが生活のアクセント。このアクセントがないと冬ではない。だから東京はちょっと不気味。東京に来ると必ず行く店がある。朝飯を抜いて昼は「大戸屋」で魚定食を食べる。「大戸屋」は秋田にない。塩サバやイトヨリの焼き魚定食は60歳をこえてから好きになった。秋田には「てんや」もない。ここも一回入ってみたいのだが脂がきつそうなので踏みとどまっている。だから東京で食べるのは大戸屋ばかり。夜は水道橋駅前に「アカマル屋」というもつ焼きやを見つけた。安くてうまいし混んでいない。店のつくりが安っぽく全体的にチープ感があるが味はいい。食事が終わってから山の上のバーにも行くようになった。ウイスキーを2杯ぐらい飲んで帰ってくるだけだが、チープなもつ焼き屋も高級なバーも、自分のなかにでは同じ場所に位置している年齢になった。

12月31日 大晦日だが特別にすることはない。数年前からお節は「和食みなみ」で、年越しそばは手打ちの「神室そば」と決めたいるから悩むことはない。事務所はいつもちゃんと掃除しているから大掃除もなし。夜の9時に「年越しそば」を食べると、もう何もやることはない。DVDの映画を観たり、本を読んだり、ブログを書いたり、新しい手帳を準備したり……やることがありそうでないのが大晦日。来年は3日からタイ旅行がある。その準備があるが、それもものの1時間もあれば終わってしまう。そんなわけで来年もよろしく。
(あ)

No.830

死者の花嫁
(幻戯書房)
佐藤弘夫

 「戦国時代の墓の話をあまり聞かないのは、なぜ?」と疑問に思っていた。中世の死生観では「死者はこの世にいない」と考えられていた。そのため死者は土葬で匿名のまま葬られた。農民の定住化が始まり「イエ」意識が芽生え、死者(先祖)は身近で見守り続けている、という死生観ができるのは江戸時代。それが火葬(遺骸が大事)や墓地を生み、死者を投げやりにすると祟りがあるという思想が寺に集合墓をつくるきっかけになった。個人墓や寺にお墓が集まるようになるのはそんな昔ではないのだ。本書は墓や先祖、幽霊といった死と埋葬に関わる日本人の「死生観」の歴史的変遷を描いた労作である。実に勉強になったが、構成や文書表現が少し堅苦しい。もう少し文書表現がこなれ、構成が整理されていれば「話題の書」になったのかも。昭和40年代までは秋田でも土葬が行われていた。その最後の土葬を記録したアマチュアカメラマンがいて写真を見せてもらったことがある。土饅頭に板碑で実にそっけないものだった。それにしても幻戯書房の本を読むケースが増えている。幻戯書房は角川書店創業者である角川源義の長女である辺見じゅんさんが創立した会社だ。出版社名はお父さんの名前がとったもの。辺見さんは5年ほど前亡くなったが出版社はその後も順調に良書を世に送り出している。

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