Vol.847 17年3月4日 週刊あんばい一本勝負 No.839


転んで、脂ッけなく、風邪をひく

2月25日 新聞をめくるとき1ページ毎に指にツバをつけなければ紙がめくれない。指からすっかり「脂ッけ」が抜けてしまった。外見が年相応に老けていくのは自然の摂理。でも身体からこうも簡単に脂ッけが抜けていくのは想定外。しょっちゅう指を舐めている自分にガクゼンとなる。机上には例の水でぬらしたスポンジを常備。「事務用海綿」というやつだ。最近はクリームも出ていて「メクール」とか「メクボール」とかいうふざけた商品名で売っている。そんな紙めくりクリームの中には手荒れを防ぐアロエや植物性セラミド配合なんていうものまである。面倒くさいので昔ながらの100均で買ったスポンジを使っているが、水がすぐなくなったり不衛生だったりで、最近はクリームが主力になりつつあるらしい。無明舎も初期のころガラスのビンに入った海綿のようなものを確かに使っていたなあ。ということは老化による無脂化とは別に、紙めくりツールは事務用品の必需品だったわけだ。

2月26日 散歩の途中、路上で派手に転んでしまった。堅雪のへりに足が引っ掛かり、前のめりになってコンクリートにダイビング。落ちる瞬間、左足のこむらがえしがおき、すぐに立ち上がろうとしたが、足がもつれて起きられなかった。手のひらやひじ、左肩を強打。今日の山行は高尾山。登りが2時間余のけっこうハードな山だが転倒の後遺症はなく、ひとまず安心。家の中はカミさんが風邪でゲホゲホ、ウイルス蔓延中。なるべく家にいたくない。でも朝晩は一緒にご飯を食べるわけだから、うつされるのは時間の問題。転倒の後遺症より、こっちのほうがずっと深刻な問題だ。

2月27日 昨日の高尾山は雪がじっとりと重く、朝起きると筋肉痛。ハードな山でもめったなことには筋肉痛にならないから、一昨日の路上転倒の筋肉痛なのかもしれない。今週は毎日のように来客や外に出る用事が詰まっている。新刊もできてくるし春DMの入稿もある。まだ風邪をひいていないが、念のため風邪薬を服み、生姜湯で身体を温め、室内でマフラーを巻き仕事。新入社員はずっとマスク姿だ。こんなに用意周到でも風邪はうつされる。風邪ひき本人のなおりかけが危ないそうだ。こちらにバトンタッチして自分は健康体に戻っていく。

2月28日 県南の蔵元「天の戸」にお邪魔。おいしい杜氏料理やおしゃべりを楽しんできた。雪の間、車の運転はできるだけ控えているのだが高速道に雪はなく走りやすかった。夜の酒蔵のパーティに、こともあろうに私は車で参加したのである。「呑む」ことを目的にしたパーティに「呑まず」に参加することができるようになったのである。酒蔵を訪問して一滴の酒も呑まず帰ってくるのは勇気と決断と努力が必要だ。自分を褒めてやりたい。

3月1日 もう15年以上前、毎日のように集配に来ていたDさんが突然、その大手宅配便の会社を辞め別の運送関係の会社に転職した。そのDさんが先日、15年ぶりに配達に来た。どうしたのと驚いて訊くと、宅急便はネット通販の拡大によってモーレツに忙しくなりドライバー不足、週末のみ手伝いにきているとのことだった。そうか運送業界はそこまできているのか。時間帯配達なんて必要ない。過剰労働を招くだけだと思っていた。「不便のすすめ」を真剣に考えてみる時期なのかもしれない。

3月2日 カミさんの風邪がいつこちらに「うつる」か、食事のたびにビクビクしている。3日ほど前からノドがいがらっぽく、2日前からなんとなく身体が怠い。昨日は咳が出て寒気。この間、座して悪化を黙認していたわけではない。市販の風邪薬、生姜湯や栄養剤をのみ、昼もスタミナをつける外食(ラーメンとギョーザ)、夜は早めにベッドに入る。それでも鼻の奥がむずがゆくなり、ノドのこそばゆさがとれない。ここにきてカミさんは「自分の風邪をうつした」と初めて認めた。夫婦の片方が風邪をひいて盛大に咳をしているとき、片方はどのように対処すればいいのだろう。クールに家庭内別居というのが一番いいのだろうが、そんなことをすれば相手の逆鱗に触れるのも間違いない。どなたかいい方法をご教示いただけないだろうか。

3月3日 「風邪」の一歩手前で激しい攻防戦。いまだ侵入を許していないのは我ながら立派。1日に1冊新刊ができ、2日の昨日は予定通り3冊本が出来てきた。今日はその事後処理で忙殺され、ようやく週末を迎えることができそうだ。週末の山行まではとても余裕がない。今回はパスしてゆっくりしたい。ようやく大きな山は越えつつある。来週はずっと寝込んでも仕事に大きな支障はない。あとはDM発送が始まる10前後が忙しさのピークか。下旬になるともう数本新刊の刊行予定でまたバタバタしそうだ。新年度は関係ないが、印刷所や周りの人々はどうしても特別の意味を持つ月、なにかと慌ただしい。
(あ)

No.839

最後の秘境 東京藝大
(新潮社)
二宮敦人

こんなルポの手法もあったか。ちょっと目から鱗だ。従来のルポであれば学生たちはむろん大学に関連する教授や守衛、生協や図書館員、事務職員やOBといった人たちを多角的に取材、文化や歴史を重層的に積み重ね、ある一つの「大学像」を構築していく。ところが本書は、アバウトなテーマを決め、それにそって現役の大学生たちを選び取材する。その現役大学生たちの証言だけを頼りに形を作っていく。大学教授も事務職員も守衛も、過去の歴史や伝説的な文化も一切でてこないのだ。意表を突かれた所以である。さらにアドヴァンテージは、著者の妻が現役藝大生であること。本書の全体なナビゲートをしているのは彼女だ。そういう意味では夫婦の共著といってもおかしくないほどで、彫刻専攻であるこの彼女の存在が本書の潤滑油としてうまく機能している。 藝大を理解するにはとりあえず「音大」と「美大」の2つの区分けを前提にする必要がある。「音大」系は家庭の所得も高く押しなべて学生も優雅だ。反して「美大」系は個性的でハチャメチャで、浮世離れしている。藝大卒業生の半数が「行方不明」になる、という記述にはさすがに驚いた。芸術家のプロとして生き残れるのは藝大と言えど、ほんのわずかの人たちなのだ。

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