Vol.877 17年9月30日 週刊あんばい一本勝負 No.869


子供・宴会・取材力

9月23日 湯沢に行くと寄る喫茶店がある。中高時代の同級生が経営する「ラ・シュエット」。フクロウを意味するフランス語だ。コーヒーが美味しいのはもちろん清潔感とオーセンティックな雰囲気のある正統派喫茶店だ。その店がこの10月で閉店することに。理由は「喫茶店文化の衰退」と「古希」というが店主は大の愛煙家だ。東京都の屋内飲食店原則禁煙などの条例制定が本決まりになり潮時と判断したようだ。私は禁煙派だが、この喫茶店に漂う甘いたばこの香りは嫌いではなかった。また自分の心身の一部分をかたどっていたものが消えていく。残念だがしょうがない。見て見ぬふりをして生きていくしかない。

9月24日 野球場で財布を置いて席を立った小学生のことを、いろいろ考えている。公衆の面前で財布を置いていく子供の純朴さや田舎特有の性善説を説きたいわけではない。彼の生まれ育った東成瀬村は日常生活で買い物をする場所がない。現金は不要の空間に住んでいる。仲間の同級生は「常に同窓生」である。20人1組のクラスしかないから自動的にこの20人が小中9年間を共にすることになる。気心の知れた家族のような同級生、持ちなれない財布、お祭り騒ぎと人混みで、彼は興奮の極致だったのかもしれない。あんなところに財布を置いていくのはよくない、ということを理解するには、少し時間がかかるかもしれない。

9月25日 毎朝一杯だけコーヒーを飲む。コーヒーは牛乳で薄める派。牛乳パックの開封がうまくいかず、いつもイライラする。説明書をちゃんと読んでみたら注ぎ口を左右に押し広げた後、屋根につくぐらいきつく折り返し、それから手前に引くと、あら不思議、ちゃんときれいに開くではないか。それともう一つ。牛乳をチンすると、なぜあふれ出て煮こぼれるのか。誰か教えてください。

9月26日 久しぶりのシャチョー室宴会。四名の参加でSシェフのキジハタ料理を堪能。ハタは中華料理の最高峰の高級魚だが、日本ではあまり高く評価されない。お相撲さんがよく食べる超高級魚クエ料理がわずかに知られているぐらいだ。小生は毎年、プロの料理人の人たちの後ろにくっついて台湾、香港、上海などに中華料理を食べに行く。そこで必ずメインとして出てくるのがハタ料理だ。昨夜はSシェフがこのハタをお店で見つけたことがら急きょ実現。Sシェフだけに任せておけないと、四品ほど「自分の食べたいツマミ」をつくって私も抵抗したが、ハタにはかなわない。無駄な抵抗などせずにハタだけたっぷり食べればよかった。

9月27日 一日東成瀬村取材。朝一番で村に行き、小学一年生の「友信じっちゃ」の「地域の昔の行事・豆名月を語る」という課外授業を取材。友信じっちゃの話も面白かったが、その後の「ムツばっちゃの昔話」もなかなか。授業が終わった後、子供の一人が話し終わったばっちゃに抱き着き、しばらくハグ。親族なのかなと思ったら近所に住む同士だそうだ。「ありがとう」「うん、またね」といった会話をしながらハグしているのだが、70歳も年の差のある老婆と少年が(背丈はいっしょ)外国映画のヒーローとヒロインのように慈しみあっている光景に小生落涙寸前。まさか授業に顔見知りのばっちゃが登場するとは思わなかい子供の、素直な感情の表現なのだが、それを同じハグでごく自然に受け止めたばっちゃの感性もナイス。この村はなんだか外国映画みたいだ。

9月28日 時間があれば東成瀬村まで取材に行き、帰ってくると取材メモを整理し、ICレコーダーを聞きながらメモを取る。こうした作業をここ数カ月ずっと続けている。この他に週三回のエアロビも欠かせない。エアロビ後に取材テープを聴きながら原稿をまとめる、といった器用なマネはとてもできないから日程調整が難しい。この2つのことをうまくバランス取りながらやっていくしかない。

9月29日 カミさんが夜不在だと自炊だ。朗読のコンサートを年に数回やるので、その期間の週3回は自炊タイムだ。昔はこれ幸いとばかり外に飲みに出たが、今は嬉々として家で料理を作る。料理といっても冷蔵庫の有り合わせを酒の肴にするだけだ。酒にピッタリの肴は「朝や昼のご飯の残り物」だ。冷蔵庫に余っているものだけという「限定」と「諦観」が、酒のうま味を引き出してくれる。「さかな」は酒菜が語源だそうで、本来の魚は「うお」としか読まない言葉だ。酒菜が転用され、近年魚(うお)を「さかな」と呼ぶようになった新語だそうだ。
(あ)

No.869

暴れ影法師
(集英社文庫)
花家圭太郎

 江戸期、米沢藩や荘内藩で起きた事件や人物にスポットを当てた藤沢周平の実録物が好きだ。清川八郎を描いた『回天の門』、雲井龍雄の短い生涯を描いた『雲奔る』、庄内の百姓たちの国替え騒動の『義民が駆ける』、上杉鷹山の『漆の実のみのる国』といった郷土ものだ。秋田にも藤沢周平のような作家がいれば、と考えていたら、秋田藩士・戸沢小十郎が大活躍する時代小説を描き続けた花家圭太郎(角館出身)を思い出した。花家は数年前早世したのだが、痛快時代劇で名をなした割に秋田での知名度は低かった。その処女作である本書を読んでみて感じるのは、実によく原典史料を読み込んでいるということ。そのことをこれ見よがしに披瀝しないのもいい。徳川2代将軍秀忠の時代、外様大名の改易(クビ)が盛んに行われた。秋田藩の佐竹氏もその対象である。そこで藩の窮地を救うために戸沢小十郎が立ち上がる。その行動たるや虚実の被膜すれすれ、どこまでが史実で、どこまでが「ホラ」か、よくわからない。そこが面白いのだが、大久保彦左衛門が登場し、本多正純を宇都宮から秋田に追い落としたり、山形・最上氏の内紛に目を付け、ボロボロに崩壊させてしまう、といったアンバイなのだだ。本多正純の転封や最上改易は史実だが、その歴史を作ったのが小太郎という設定なのだから恐れ入る。

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