Vol.878 17年10月7日 週刊あんばい一本勝負 No.870


やっちまったぜ肉離れ

9月30日 エアロビを初めて15分、ようやく身体が温まってきた時、右足の膝裏にピリッと電流。アレッやっちゃったかな。一呼吸おいて復活しようと思ったが、すぐ事の重大さに気が付いた。シャワーを浴びて帰り支度する頃から痛みがひどくなり、100m10分ぐらいのスピードでしか歩けない。すぐSシェフに電話し当面の処置を相談。「すぐ整形外科へ行け」との指示。Sシェフは自分でもこうした修羅場を何度もくぐり経験も知識も豊富なので、素直に指示に従う。軽度の肉離れとのことで全治2週間。いろんな予定はしばらくリセット。一晩明けた今日は、昨日より痛みは薄らいでいる。まあ原稿書くだけなら手やPCが大丈夫ならなんの問題もない。しばらく原稿書きに専念しよう。 

10月1日 この土日は絶対安静で月曜から歩き出せたら、と腹積もりしていた。でも2日間の安静で膝裏の痛みはかなり軽減。医者の言う通り、軽いねんざクラスのアクシデントだったのかもしれない。すっかり落ち込んでしまったが、冷静に考えれば「そうひどい怪我ではない」ということかも。大山鳴動して鼠一匹、ということわざ通りだ。でもまだ油断はできない。

10月2日 痛みはだいぶ薄らいできた。少し散歩をしてみたが、やっぱり歩いた後には痛みが残る。どうしてこんな事態になったか考えた。エアロビでは捻ったり飛んだり曲げたりしない状態で突然肉離れ。かなり冷え込んだ日なので筋肉がまだ温まっていなかった。ここ数日、両ふくらはぎに頻繁にこむら返りがある。ふくらはぎを触るといつもより膨張しパンパンに張っている。これはエアロビに夢中になり疲労が集中的にふくらはぎにたまり、その結果、一番弱い膝裏を直撃したのではないのだろうか。勝手な理屈だが、でも順調に回復に向かっています。

10月3日 東成瀬村を取材しているうち島根県の離島・海士町に興味が飛んでしまった。島の廃校寸前の高校を蘇らせた、ソニーをやめ移住者した「岩本悠」や、離島ビジネスを手掛けるトヨタから転出した「阿部裕志」といった人が有名だが、町長はじめ裏方スタッフも有能な人たちが多い。ぜひこの島に行ってみたい。『僕たちは島で、未来を見ることにした』(木楽舎)や『未来を変えた島の学校』(岩波書店)を読んだだけなので、実際に行って、いろんなことを自分の目で確認したいと思っている。幸い十月末、鳥取県米子でシンポジュームがあり出席する。翌日、海士町まで行くつもりだが、これがなんと丸一日行くだけでかかってしまう場所にあるのが判明。はてさてどうしたものか。

10月4日 『仕事消滅』(講談社α新書)に意外なことが書いていた。AIとロボットが革新的に進歩する近い将来、多くの人が失業する。それは間違いないが、そのトップはドライバー、金融ファンドマネージャー(トレーダーのこと)や銀行員。裁判官や弁護士助手もアウトで、驚いたのは「医者もダメ」という。看護師は消えないが医者は消えるほうに分類されているのだ。逆にコンビニや量販店の店員のように細かな接客が必要な仕事はAIでは対処できない。人類と同じ能力を持つAIが登場する日のことをシンギュラリティ(技術的特異点)というのだそうだ。それは2045年あたりではないか、という予測もなされている。いや、この本は科学者たちのちゃんとした予測に基づいたデータを使用した、けっこう真面目な本。けっこう説得力がある。

10月5日 足の状態がよくない。見通しが甘かった。Sシェフからは「ダメージを受けた筋肉に謝罪の気持ち、過負荷を与えてすまなかったと、いたわる気持ちで治療しないと治らない」ときつく叱られた。軽い肉離れでも完治するまでは1年かかるとみたほうがいいのだそうだ。Sシャフの説教は実体験からの言葉なので重い。猛省するしかない。「こむら返し」のほうは原因が判明した。このところの急激な寒さだったので「冷え」が犯人だ。昨日たまたま布団をもう一枚多くして寝たらピタリと止まった。身体は恐ろしいほど敏感で正直だ。Sシェフのアドヴァイス通り、気長に丁寧に、謙虚に身体と向き合っていくしかないようだ。

10月6日 時間感覚があやしくなっている。「あの三日前に入ったやつ、処理してくれた?」「えっ十日前にもう終わってます」とか「足を痛めてかなり経ったが治らない」と書いて、調べてみたらまだ怪我して1週間もたっていない。自分の気分で時間の経過が勝手にねつ造されているのだ。エアロビを始めた時期や東成瀬取材を本格的に始めた月日もおぼろげで正確に思い出すことができない。2カ月前なのか4カ月前なのか、その間2カ月も記憶のタイムラグがある。これは自分ながらちょっと心配。こんなふうにしてボケていくのだろうか。幸い毎日、日記代わりに手帳をつけている。書くのは朝昼晩の食べたもの。これを記録することで日々手帳を開く習慣を義務づけている。特別なこともその都度記帳するから、たいがいの「ことはじめ」は手帳で確認できる。そのうち手帳に書いた事実すら忘れてしまう日が来るのかもしれないが。
(あ)

No.870

蛍雪時代―ボクの中学生日記
(講談社コミックス)
矢口高雄

 全5巻からなる長編エッセーコミックだ。著者は私より10歳年上で、生まれ故郷の雄勝郡西成瀬村狙半内という戸数70ほどの集落に生まれた。昭和27年に村立西成瀬中学に入学。その3年間の思い出をつづった漫画だ。そのなかでも「思い出づくり」と題された修学旅行の一章が強く心に残った。修学旅行は「仙台・東京4泊5日」。それ以前は「仙台・松島2泊3日」だったから、戦後復興の大盤振る舞いだ。でも内実は車中2泊という強行軍だ。生徒会長だった著者は、旅行に行けない「長期欠席児童」と呼ばれる貧しい家の同級生たちのため、河原から石を工事現場に運ぶ「石運び」のアルバイトを提案する。そして一人も欠かすことなく修学旅行に出発する。当時の秋田県の高校進学率は25パーセントほど、この旅行がみんなと会える最後になる。ちなみにこの中学から高校に進学したのは著者一人だったという。宿泊費節約のため一人5合の米を担ぎ、旅館に渡して余った分は、教師たちが都内の飲食店を回り販売したという。初めて見るテレビでのプロレス観戦、生で見た東京6大学野球、上野動物園で舞い上がり、浮浪者に度肝を抜かれ、生々しい空襲の傷跡にうなだれる。そんな修学旅行の最高の思い出は、旅行前みんなで汗を流した「石運び」だったというのが泣かせる。

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