Vol.879 17年10月14日 週刊あんばい一本勝負 No.871


一雨一度

10月7日 うろ覚えだが「一雨一度」という言葉があった…ような気がする。一雨ごとに一℃ずつ温度が下がっていくという意味なのだろう。秋の雨は寒さを道連れにやってくる。今日も朝から気分の沈むような冷たい雨。静かな1日になりそうだ。原稿を書いて過ごすのにはいい日和だが、いまひとつ気分が盛り上がらない。これはどうしたものかと逡巡していたらSシェフとA長老がたまたま同じ時間に来社。無駄話でおおいに盛り上がった。これで少し気分は上向きになった。原稿を書く仕事は自分の内面にひたすら下降していく作業だ。青空よりは雨が似合っている。外への誘惑を断ち切って、自分のうち側へと秋の雨のように降りていくか。

10月8日 ぐっしょり寝汗をかくような怖い夢を見た。共同生活をする宗教団体をカミさんと二人で訪ねた。目を離したすきにカミさんがいなくなった。建物の中を探しても見つからない。どこかに拉致されているのだが、こちらも迷路のような建物に出口を見失い、外に助けを呼びに行くこともできない。何度も何度も建物の中を途方に暮れて探すが、その団体の不気味な日常が隠れ見え恐怖を覚え始める……というストーリー。1年に1回はこの手の悪夢を見るのだが、テーマは年をとるごとに重く解決の難しい不条理なものへと進化している。夢はコントロールできない。いい夢を見たい。

10月9日 ペットボトルを買うことはほとんどない。普段は冷や麦をつくり置きしてペットボトルに詰め替える。この夏はちょっと贅沢して「OS1」を飲んでいた。ケース買いして事務所に置いてあるのだが4カ月は持つから貴重品という扱いに近い。まるで呼吸するような感覚で自販機やコンビニで飲料を買う人が自分には信じられない。そういえばカミさんは冷凍庫の氷をミネラルウオーターでしか作らない。水道水でつくると怒られてしまう。この感覚もわからない。もう「一年中冷や麦派」になって10年近くたつ。

10月10日 テレビの字幕スーパーを読むのが苦痛になってきた。うすく膜がかかって画面が見える。白内障なのだろうか。白内障なんて白髪みたいなもの、と手術を受けた人は豪語するが、身体にメスを入れた経験のないこちらは、ひたすら恐怖だ。65歳になるまで老眼とは無縁だった。軽々と小さな字も読めたが、今は拡大鏡を使わないと資料類は読めなくなってしまった。夜の散歩は裸眼で、できるだけ遠くを見るようにしている。寝る前には必ず目薬を点滴する。それでも老化のスピードにはかなわない。本を長く読めなくなったのもつらい。

10月11日 著者と編集者が何度も校正を繰り返し、印刷製本を経て本は完成する。ところが「校了」したと思って入稿したゲラが、印刷所から「まだ校正ミスがある。ホントに刷っていいの?」と差し戻されることがある。それは印刷所の越権行為で、ふつうはありえない行為だ。でも印刷所(組版)とは長い付き合いで、うちの欠点や拙速さを彼らはよくよくわかっている。印刷所の親心なのだ。今回も新刊の校了ゲラも「校正不完全」を理由に返されてしまった。ここまでしてくれる印刷所には足を向けて寝られない。気持ちのゆるみを厳しく指弾してくれる人がいるというのは得難い財産だ。

10月12日 税理士の先生から報告。今年の決算は去年より数字があがって好成績のようだ。正式の決算報告は来週になりそうだが、まずは一安心。今年の前半は本当にいっぱい本を出した。これで数字があがらなければ救いはない。ところでヒザの調子だが、これはマアマアといったところか。生活するのに不具合はないが、体を動かせないフラストレーションはたまる一方だ。そこでジムのプールで泳ぐことにした。もう2回泳いできたが、泳ぐよりも歩くのがメインで、その合間に300mも泳げばクタクタになる。

10月13日 冬山の八ヶ岳で快晴にもかかわらず星が輝いていた、という記述に出合った。空気が澄んでいるので空気中の埃に太陽光が乱反射しない。そのためピーカンの太陽が出ていても深い藍色に沈んだ暗い空になり、星がくっきり見えるのだそうだ。これは永田和宏著『もうすぐ夏至だ』(白水社)に書いていたこと。そういえば最近空を見上げることが多くなったなあ。月の満ち欠けを気にしている自分にときどき驚いたりもする。月の満ち欠けに興味を持つようになったのは還暦あたりから。「今日は月がきれいだ」というセリフをさり気なく言えるようになった。それまでずいぶん長い年月が必要だったのは風流と無縁に生きてきたから。なんとなく照れくさかった。昼にも星は輝いている。そうか、そうなんだよな。
(あ)

No.871

伊勢詣と江戸の旅
(文春新書)
金森敦子

 金森さんの本はそのほとんど面白い。『関所抜け江戸の女たちの冒険』や『きよのさんと歩く江戸六百里』など伊勢詣ものは特にはずれがない。と言いながら本書」を読んでいなかった。サブタイトルにある「道中記に見る旅の値段」が少しマニアックだったからだろう。江戸の旅の仕方についてある程度知識が蓄積すると、本書の面白さが分かる。江戸の世で、自分の足と金だけを頼りに何か月も旅に出ることは尋常ではない努力が必要だった。そもそもなぜ旅に出るのか。コメの値段が上がり、凶作が続き、家庭がうまくいかず、世情の運気が良くないとなれば、万事が満ち足りるように御祈祷をしなければならない。幸運が転がり込んだり、病気が治ると「お礼参り」も必要になる。詣でる場所は天皇の祭られている伊勢神宮である。村で講を組み、5年後も目標に金を積み立てる。旅行の段取りや伊勢に着いてからの細かな行事、出費、スケジュールはすべて「御師(おんし)」が仕切る。旅行代理店の仕組みは今も昔も全く変わらないのだ。変わっているのは伊勢神宮に奉納する太太神楽料。ほかにもいろいろな「ご祝儀」が発生するが、金額が大きいのは神楽奉納料だ。これは御供料、神楽料、神馬料などのことで、講で貯めたお金のほとんどは実はこの神楽奉納のために使われた。日々の旅にかかる費用は自腹である。秋田・増田から伊勢詣にでた記録『安倍五郎兵衛天明三年伊勢詣旅日記』では、なんと神楽奉納料として54両(324万円)も支払っている。ちょっと信じがたい額だが、これは特別に高額な神楽料でもないというのだから驚きだ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.875 9月16日号  ●vol.876 9月23日号  ●vol.877 9月30日号  ●vol.878 10月7日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ