Vol.927 18年9月22日 週刊あんばい一本勝負 No.919


複眼でなければ見えないものもある

9月15日 先月の台風前日、雨風の音に脅えながら朝早く目覚めたのだが、町内会・公園除草の日だった。台風のことで頭がいっぱいですっかり忘却していた。数日後、除草は悪天候で中止だったことを知った。今日はその代替日。集合時間の6時半に公園に行くともう作業は終盤。前日までに業者が草刈りを終えていて、後始末をするだけだからしょうがないか。町内会の行事はとにかく顔を出すことが基本だ。

9月16日 今週からちょっと新しい「試み」をしようと張り切っていたのだが「敬老の日」だった。ちゃんとカレンダーを確認して仕事の計画を組まないと、まずいよね。そんなこんなで3連休は無聊をかこっている。今日からウェブマガジンに初めて書いた原稿がアップされています。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57473です。よろしければご覧ください。

9月17日 この頃読んでいる本は、「信長と戦国時代」に関するものが多い。個人的な「隠れキリシタン」への興味が遠因になっているのだが、なぜ信長はキリシタン好きだったのか、最初の興味はそのへんにあった。最近の学説では本能寺の変は明智個人の謀反ではなく、背後に朝廷の力があったことがほぼ常識になっている。信長とキリシタンの関係は実に興味深い。さらに秀吉はなぜ唐突に朝鮮出兵したのか。家康がキリシタン嫌いになっていくのはどうしてなのか。こうしたことがすべてがザビエルから始まるスペイン、ポルトガルの世界帝国建設の野望やキリスト教の布教と絡んでくる。信長、秀吉、家康という独裁者たちの物語の背後にはヨーロッパの来日宣教師たちの姿が見え隠れするのだ。

9月18日 暑い夏だった。痛風の症状が突然襲ったり、身体を動かすのが億劫になったり、精神的にも落ち込むことが多かった。秋の到来とともに本格的に毎週山行に打ち込みたいし、筋トレス・トレッチも日常化したい。秋は食欲よりもスポーツだ。と誰にも聞こえないような小さな声で呟いているのだが、このごろ「食いっけ」が日々亢進している。食欲があるのは悪いことではないが、こちらは食べた分だけちゃんと太る人。そう単純な問題でもない。

9月19日 散歩の途中でコーヒーが飲みたくなりマクドナルドに入った。入ったはいいが注文の仕方が分からない。一番安いチーズバーガーとコーヒーのセットを頼んだ。なんと260円。昨日は横手まで出かけ、昼は「居酒屋 日本海」で食べた。店主のマコちゃんが一人で焼きそばを食べていたが、すぐにサンマを焼いてマグロの刺身と一緒に出してくれた。驚いたことにご飯は注文してから小鍋で一人分を炊いてくれた。そうか、ご飯というのはコーヒーと同じですぐにできちゃうんだ。腹いっぱい食べて1000円。これも安い。

9月20日 近所の猫の鳴き声がうるさい。家の周りで悲しげに鳴き続けている。秋田犬が流行り出せば、すぐに檻に入れて触れ合えるスペースを作くり、「人気沸騰」などと喜んでいる人たちの、センスを疑ってしまう。例えばドイツではもう「ペットショップ」そのものが法律で禁止されている。金魚を飼うのも丸い金魚鉢は「魚が目を回すから」という理由で四角い金魚鉢しか売ることはできないのだそうだ。ウソのようなホントの話だが、「檻に入れてギャラリーに触らせる」という発想自体が「動物虐待を喜こぶバカな秋田県民」といった世界からの批判が殺到する危険をはらんでいる。金足農業の吉田投手は日本中のヒーローになったが、世界基準からみれば「Child abuse」(チャイルド・アビューズ=児童虐待)を喜ぶバカな日本人である。複眼でなければ見えない世界がある。

9月21日 県北部に行くことは山行を除けば、ほとんどなくなった。昔は県南よりも県北部への出張が圧倒的に多く、知り合いや著者も県北部のほうが多かった。いまは仕事をする人間はほぼ秋田市中心に傾いているのが現状だ。先日、久しぶりに県北へ出かけてきた。何人かの人と会い旧交を温めてきたのだが、印象に残ったのは二ツ井の手作りカヌー工房だ。工房は廃校になった校舎の中にあり、なんとベニヤ板から作るカヌーで一艘が4万円ほど。工房の脇に米代川が流れているので、その場で浮かべて遊ぶことができるのも魅力。ツアーガイドも充実していて初心者でもすぐにできるようになるそうだ。山仲間で一度リバーツーリングしてみたい。
(あ)

No.919

歪んだ波紋
(講談社)
塩田武士

 「情報」の「誤報」にまつわる連作集である。連作集というのはそれぞれの短編が物語として完結しながらも、登場人物や物語のかけらが、次の短編にもそのまま引き継がれていく「つながる物語」のこと。本書は5つの物語からなっている。ひとつひとつが完結した物語としても読める完成度を持っているのだが、誤解内容に言えば「誤報」をテーマにした一つの長編小説である。最後まで読み終わると、それぞれの物語の余韻がさらに深まるように書かれている。
 前作の出版業界を描いた『騙し絵の牙』がかなり満足度の高い物語だったので、すぐに本書に飛びついたのだが、連作短編というジャンルお少し甘く見すぎていた。読み通すのに2週間ほどかかったせいで「連作」の妙味を味わえないまま読了してしまったのだ。先に読んだ物語の筋をすっかり忘れてから、次の物語を読んでしまった。長編として読めなかったのが凡ミスだ。恥ずかしい。私たちはリアルもフェイクも混じった膨大な情報に囲まれて生きている。その混乱に付け込んで真実をゆがませて「革命」をたくらむ「悪いやつら」がこの国にはうごめいている。そこのはざまに生きる地方メディアの記者たちが主人公だ。

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