Vol.972 19年8月17日 週刊あんばい一本勝負 No.964


山小屋・熱風・ズッキーニ

8月10日 クマとの遭遇という「悪夢」を早く忘れようと9時には寝床に。夜中、チカチカする光で目が覚めてしまった。異常に蒸し暑くて寝苦しい夜だ。チカチカするのは「小さな稲妻」のようだが、雨も雷鳴もなくひたすら夥しい小さな点滅を繰り返しているだけ。数分後、稲妻が大きくなり闇を切り裂くようになり大粒の雨。アイマスク代わりに布団を顔に巻いて寝た。雷鳴の頻度も電光の明度もすさまじい爆音も、すべて初めて経験する激しさで、その音と光にたじろいで寝付けなかった。

8月11日 散歩のため大学病院通りに出るとき緊張する。横断歩道があり、車は歩行者がいても止まろうとしないからだ。今日の新聞に、この危険性を指摘する記事が載っていた。ブラジル・アマゾンの村々には信号機も横断歩道もないが、いたるところにロンバーダ(牛のコブ)といわれる路面突起があり、減速しないと車が破損するようになっている。低予算で確実に車を減速させるには路上のコブは極めて有効なことをブラジルで知った。日本でもその路面コブ対策を進めようという提案がなされているらしい。

8月12日 ズッキーニにはまっている。何もないとき炒めたり蒸したり揚げたりするだけで、それらしい料理になる。野菜や豚バラ肉と一緒に炒めるのが定番だが調味料はポン酢があう。と思っていたがバルサミコ酢を使ってみたら抜群に相性がいいではないか。そうかバルサミコ酢ってこんなふうに使い回すのが常道だったのか。冷蔵庫にズッキーニがないと不安になる。スーパーで一本100円、同時にバルサミコ酢もチェックするようになった。

8月13日 クマ遭遇事件がまだ後を引いている。「なぜクマはこちらの存在に気が付いているのに逃げなかったのか?」。これまでの常識だと笛や鈴、大声で人間の存在を知らせれば、臆病なクマは一目散に逃げることになっていたはずだ。クマに詳しいカメラマンの友人に訊くと、八幡平では路上に落ちたブナの実を食べるのに夢中で停まった車を完全無視するクマもいるそうだ。食べ物への執着が異常に強く、ヤブから人間を監視しているので人に慣れている。そして人の近くには食べ物があることを知っている、という。クマスプレーはもう必需品だ。

8月14日 スタジオ・ジブリが発行している「熱風」という雑誌はテーマや執筆陣も素晴らしい。しかし無料なので丸善や巨大書店などに行ってもらってくるしか手に入らない。秋田では入手困難なのだが、県立図書館にもなかった。県出身の男鹿和雄さんの関係もあるから角館図書館ならと思ったがこちらもダメ。半ばあきらめていたところ、ネット通販「メルカリ」でバックナンバーが出品されていたので注文。昔は必要な史料があれば躊躇なく大宅文庫でも国会図書館でも出かけたものだが、今は検索さえすれば世界中のものが入手可能だ。まあこの現象の表裏として本が売れなくなったわけだからプラマエゼロか。

8月15日 「山小屋」はほとんど縁がないし知識もゼロ。秋田には「避難小屋」しかない。宮田八郎『穂高小屋番レスキュー日記』、やまとけいこ『黒部源流山小屋暮らし』、吉玉サキ『山小屋ガールの癒されない日々』という3冊の山小屋本を集中的に読む。宮田さんはあの漫画『岳』のモデルになった人物で、今年の4月にシーカヤック中に落命している。この本が遺稿集になってしまったわけだが図抜けて面白かった。3本に共通しているのはヘリコプターによるレスキューや物資輸送の様子が詳しく書かれていること。やまとさんの本も女性から見た物資輸送の重要性がよく書かれている。吉玉さんの本だけが「山渓」からでなく平凡社から出ていて、普通の女子の山小屋バイトの日常だ。レスキューや物資輸送のヘリは民間会社による運営で、1回のフライトで50万円程度の費用がかかるのだそうだ。

8月16日 経験したことのないような暑さが続いている。フェーン現象なるものを身を持って体験しているわけだが、もうお盆中は外出をあきらめて、事務所に逼塞している。散歩も夕の風が出てきたときのみで、ひたすら家屋内で本を読んだりDVDの映画鑑賞。昼から酒を飲む選択肢もありなのだが、これはてき面にデブになる危険性をはらんでいる。この10日間、間食(甘いもの)断ちをしていて体重も低値安定してきた。その努力をパーにしたくない。
(あ)

No.964

友を偲ぶ
(知恵の森文庫)
遠藤周作編

あまり深く考えずトイレの「置き本」にしていた本だが、これが実に面白い。いや弔辞や追悼文を面白いというのは不謹慎か。この手の追悼文集はあまた出版されているのだが、これは別格だ。川端、三島、手塚治虫に、檀一雄、石原裕次郎、坂口安吾といった戦後史を代表する有名人たちを、それと同等の友人や親族、ライバルたちが「死を悼んで」書いたものだからだろう。書くほうも書かれるほうも超一流なので、おもしろくないはずはない。弔辞の紋切り型である「僕もそのうちそっちに行くから」や「いつかそちらで飲みかわそう」なんて甘ちゃんな言辞はひとつもない。死者を語ることで「自分の意味が問われる」ことを百も承知の、まさに「闘う珠玉の文章」が並んでいるのだから、何度読んでも感動するわけだ。さすがに一流の有名人たちのお手並みは鮮やかで、弔辞や追悼文でも一頭地を抜いている。たとえば今東光は大友人だった川端の自殺を「自殺の理由はない。彼の心以外にはだれ一人わからない」とさらりと書いている。三島の死に対する武田泰淳の追悼文も、深沢七郎の「楢山節考」を評価して右翼に狙われてしまった三島のこっけいさをエピソードの中核に挟み込む見事さだ。

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