Vol.973 19年8月24日 週刊あんばい一本勝負 No.965


塩と間食

8月17日 海水浴に興味を失ったのはいつごろからだったろうか。海水浴=若者という固定観念が強すぎるせいか、日差しがきつく、ベタついて、暴力的、というイメージが植え付けられてしまった。先日『塩と日本人』(雄山閣)という本を読んでいたら、海水浴は明治7年(1874)に湘南で避暑をしていた人物が「海水浴医治効用説」として発表したものだそうだ。その効用説の根拠はイギリス人のアランという人物のようなのだが、この本。文章がかなりお粗末で、よく意味がくみ取れない。言いたかったのは「塩」には薬効があり、西洋医学の理論的支えもできて、海水浴は明治になって始まった、ということのようだ。江戸時代の日本人は「海水浴」なんて考えもしなかった、わけだ。

8月18日 間食(甘もの)をやめてから3週間。砂糖というのは身体にどれだけ強い「影響力」を持っているか、自分の身体を実験台に試験中である。緩やかにだが体重は減り、いまのところリバウンドの兆しはない。何よりも毎日の便通がよくなった。少し胃袋が小さくなったのかもしれない。わが家は朝食が品数豊富でがっつり食べる。逆に夕食がシンプルで、あっさり系だ。朝の惣菜を残しておいて夜の晩酌のつまみにすることも度々。ときどき外食でドカ食いをしたいなあ、と思わぬでもないが、いざそのチャンスが来ると、なんだかめんどうくさい。「間食禁止」をもうちょっと続けてみることにする。

8月19日 年に2,3回、まったく眠られなくなる夜がある。昨晩がそうだった。いろいろ考えてしまうのだが、眠られないから考えるのか、考えるから眠られなくなるのか、自分ではよくわからない。来し方の自分の愚行をいちいち思い出し、猛省するものの「あの時別の選択肢を……」などと思いめぐらすともう頭はフル回転、目が冴えてきた。寝床を抜けてソファーに横になり気分転換してみたが、少しはウトウトしたものの、すぐに目は冴え、頭は過去の思い出したくない記憶を探し当てて猛スピードで再生を繰り返す。

8月20日 駅前で足がもつれて2,3度、立て続けにけっつまづいた。これって脳溢血かなんかの予兆じゃないの。そんな脅えが走った。足許に注意を払い、意識して足をあげ、ゆっくり歩いて家まで帰ってきた。昨日まで元気だった人が突然亡くなってしまう出来事が周りでも何度か起きている。それもことごとく自分より若い人たちだ。だから余計自分の身に起きても当然かも、と思ってしまう。日々死を意識することは悪いことではない。

8月21日 「クマよけスプレー」を買った。八幡平の焼山でクマと遭遇してから山に行くのが怖くなってしまった。数年前、手違いでクマスプレーを買ってしまい、必要ないのでSシェフにプレゼントした。でももう人任せはダメ、自分の身は自分で守るという強い気概がなければ山行は無理な時代に入った。山にはクマがウジャウジャいるのだ。角幡唯介『極夜行前』を読んでいるのだが、北極熊や海豹がいかに恐ろしい動物か、何度も何度も繰り返し語られている。他人事とは思えない迫力と恐怖を覚える。どんな小さな山だろうが「クマは居る」という前提で行動すべきなのだろう。

8月22日 大仙市周辺の人を訪ねるため久しぶりにドライブ。方向音痴なので行き先はカーナビ任せだ。電話番号を打ち込んでカーナビの指示通りたどり着いたのが、まるで行きたい場所とは違っていた。5,6軒、用事を済ませて帰宅。もうぐったりだ。

8月24日 完ぺきに二日酔い。昨夜、二次会のバーで調子をこいて飲みすぎてしまった。帰宅したのが2時近く、かなり長い時間飲んでいたことになる。会食が始まったのが七時半と遅かったが、時間がたつにつれ加速度がつき舌の滑らかなお調子者に変身してしまった。恥ずかしい。午前中「もう一生酒は飲まない」とつぶやきながら、寝床の中で吐き気と闘っていた。午後からようやく調子がもどり、ひげをあたり、うどんをすすって、アイスコーヒー二杯で、普通の人に戻ってこれた。最近ムシャクシャする事件や事故が周りにいっぱい起き、そうした閉塞感に苛まれていたのが、深酒の遠因かもしれない。
(あ)

No.965

ライフ
(ポプラ社)
小野寺史宣

主人公が現代の若者で、その主人公には若者らしい野心も、若気の至りの勘違いや、意味不明な焦燥も恥ずかしい夢や希望もない。そんな、まるで明治時代のような青年が主人公の青春小説を読みたいと思っていた。最近、夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだ影響かもしれない。それが本書だ。大学卒業後、コンビニでバイトしながら、静かで気楽なアパート一人暮らしを続ける27歳のフリーターが主人公だ。わが条件にピッタリの物語である。その平々凡々とした主人公の隣の部屋に引っ越してきた「戸田さん」が、主人公の人生の歯車をジワジワと狂わせていく。自分とは正反対の戸田さんの無茶ぶりや、彼の家族との交流から物語は少しずつ動き出す。自分には何もないと思い込んでいた主人公の人生の扉がゆっくりと開き始めるのだ。さわやかな読後感で、暗くて目をおおいたくなるような悲劇がないのもいい。この本を読む前、田中慎弥『ひよこ太陽』(新潮社)を読んだのだが、まるで正反対の物語だった。何も書けず死の誘惑に取りつかれた作家の日常を私小説風に記した「物語」だが、読むこちらも憂鬱になる。同時代に同じ空気を吸っている作家でも見える世界はまるで違う。

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