No32
みんな嫌がるけど、オレは好きだヨ、東山
[東山(東成瀬村・1116m)――2013年6月2日(日)]
 恥ずかしながら、わが秋田県にこんな山があるなんて知らなかった。無知も極まれり。岩手県との境界に位置する東成瀬奥に登山口がある。栗駒スキー場や焼石岳登山口から、もっともっと奥に入った場所にある山なのだ。東成瀬は懐が深い。
 実は前日、東京で友人の編集プロダクションの25周年パーティーがあった。その席で冒頭あいさつに立った平凡社のS社長が、小生のところへ名刺交換にいらした。どうして私なの? といぶかしくおもったのだが開口一番、「山歩きに夢中で、おたくの山の本のファンなんです」という。とくに「山の学校」校長の藤原優太郎さんの本が好きで、彼の本はほとんど持っていて、のみならず社員にまで勧めて読ませていると言うのだ。忙しくて北は福島周辺の山までしか歩いていないが、できればいつか秋田の山に登りたいそうだ。「いつでもどうぞ。藤原校長と一緒に案内しますから」といっぱしのアルピニストのような口をきいてしまった。S社長、いつでも歓迎しますよ。ひとしきり登山談議に花が咲いたのだが、小生は翌日、東山に登る予定。朝が早いのでパーティー途中で退席し、あたふたと新幹線で帰ってきた。
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 東京から秋田に着いたのが夜9時過ぎ。とりあえず出張の後始末もそこそこに寝床に入った。でも、こういう時に限って、あれこれ雑念が頭をかきまわし目がさえて眠れない。S社長に褒められてコ―フンさめやらなかったのも原因かもしれない。
 朝4時半起床。というかほとんど寝ていないまま、岩手県境にある東山へ。初めての山だ。県南生まれなのに名前すら聞いたことがない。1千m峰なのに登山者にほとんど知られていないというのは、何か特別な理由でもあるのだろうか。
 考えられるのは、3合目にある登山口まで、ほとんど山道と言っていいデコボコ、ぐちゃぐちゃの、手入れのされていない林道を、10分以上車で走らなければならないことか。車の腹がこすられ、いたるところで倒木が進路をふさぎ、道に垂れ下がった樹木が車を傷つける。これでは山歩きの前段階で、車の所有者は躊躇してしまう。
 お天気にも恵まれ、快調に登りはじめた。やはり登山道が未整備で、人が入っていないせいか荒れが目につく。杉の植林地にも手が入っていない。暗くて汚い印象だ。やぶは多いし、道はわかりにくい(標札はほとんど雪で粉々になっている)。ブナもお世辞にもきれいとは言い難い。そうか、これじゃ登山者たちも遠慮するわけだ。
 でも、この無造作というか荒れ放題というか、ごった煮のような野性的な山が私は妙に好感がもてた。
 7合目を過ぎたあたりで山容が突然姿をあらわした。お椀のような山の形がユーモラスで、かわいらしい。横にもうひとつ同じような山が並んでいる。手前が今日の目的地で上東山、後ろが下東山で下のほうが1m高いのだが、上から下へ縦断するルートはない。ひとりで来るのは難しい山だが(道が分かりにくいから)、こんど誰かを誘ってまた来てみよう。

手前が上東山、後ろが下東山

後ろの雪のある山は焼石岳
 登りは2時間半。下りは1時間50分ほど。いろんな意味で野趣に富んだ楽しい山だった。カモシカも見たし、ヘビとは3匹も遭遇した。頂上付近に1か所、崖崩れのような場所があり、ここはSシェフがロープを渡してトラバースして事なきを得た。頂上付近にはミツバオウレンやショウジョウバカマが、群生のように咲き競っていた。
 今回からは服装も装備もほとんど夏山モード。リュックにはしっかり蚊取り線香をくくりつけた。それでも虫が多く寄ってきたが、ブナ林に入るとなぜかさっと消えてしまうの。ブナの新芽に洗われた清浄な空気は、虫の苦手な環境なのかしら。先日の太平山でも衣類で肌をすべて覆って登ったにもかかわらず、その隙間から3か所腕を咬まれてしまった。手袋と袖の、ほんのわずかの隙間からはいってくるのだ。福岡伸一さんの本で知ったのだが、蚊の触覚には熱源を感知する温度センサ―があり確実に皮膚に着地できるのだという。さらに驚いたことに、蚊の口吻は精妙で、7つものパーツからできている。針の部分にはいくつかのメスが収納されていて、胴のくびれを利用してポンプの原理で血を吸い上げる。肺がないのに、どうやって血を吸うの? と前から疑問に思っていたのだが、そうかポンプ方式で吸い上げていたのか。蚊が血を吸うのは産卵のために高栄養が必要だからだ。つまり雌の蚊だけが産卵期に血を吸う。かゆいのは血の凝固を防ぐ蚊の唾液のせいだ。蚊の針(口吻)が、人間の血で詰まるのを防ぐためだそうだ。これからの山歩きは蚊やぶよとの戦いでもある。蚊取り線香は手放せないなあ。
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 温泉は上畑温泉さわらびの湯。清潔で明るくて無色透明の、少し熱めの好きな温泉だ。脱衣場もゆったりとしている。帰りに道の駅十文字で買い物。最近は野菜に凝っているので物色するが、リンゴもないし玉ねぎも売り切れ。道の駅だからといって、安くて新鮮というのは、神話の類であることが、この頃ようやく分かってきた。

backnumber
●No. 1 草紅葉の海で、なぜかパエリア
●No. 2 贅沢お昼と、お気に入り温泉
●No. 3 白神のブナの森を彷徨う
●No. 4 南八幡平の自然休養林を歩く
●No .5 巨木の森で、雨に追われて
●No. 6 何が悲しくて、遠い県境の雨の山へ(+クマの話)
●No. 7 「キジ撃ち」慣れ、増える体重、初めての山
●No. 8 雹に雷とスパイク長くつ、是山の山
●No .9 賞味期限切れ食品がうまい、きれいな三角山
●No.10 生きものたちと出あい、ラーメンうまい雪の山
●No.11 はじめての朝市、風格の天然杉、泥土のババ落とし
●No.12 雪と風とツェルトとストック
●No.13 「靴納め」はダブル山行、かててくわえて忘年会
●No.14 これが今年最後の山行です、信じてください!
●No.15 桜のつぼみが大きいから、春は早い……
●No.16 彷徨っても漂っても、頂上は遠い
●No.17 動物の足跡がないのは、「なまはげ」がいるからだ
●No.18 どんな山でも、なにか新しいことを学べるもんだ
●No.19 「山があるんで、お先に」って言ってしまった夜
●No.20 大滝を見にスノーハイク、帰りは古民家見学
●No.21 冬は近場にこそ遊び場がある+ついにシュールストロミング開缶!
●No.22 山頂で野点、そうか今日は「桃の節句」か
●No.23 青空、中岳、ひとりぽっち
●No.24 石仏に村人はどんな思いを託したのだろうか
●No.25 冬限定、地図に名前のない山に登る
●No.26 登山道のないやぶ山で、昆虫になる
●No.27 ダブル登山で、県北の春山に酔う
●No.28 GWは雪の回廊を抜け、強風の山頂に立つのが夢
●No.29 街から7キロ先に、千メートル級の山があるの?
●No.30 下水掃除と宮沢賢治とアイゼン登山
●No.31 青空・無風・トラブルなし。雑魚10匹より大物1匹

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